おじさん子供の頃から言われていたことわざなのだが、この枕に「鬼も十八」と来る組み合わせを知らなかった。定型通り言うと
鬼も十八 番茶も出花 (おにもじゅうはち ばんちゃもでばな)
「番茶」は、摘み残しの葉から採る品質の劣る茶だが、その番茶も湯を注いだ入れたての出花は、なかなか美味であるところから、なんにでも盛りの時期があるもので、鬼にたとえられるような容貌(ようぼう)の優れない娘でも、年ごろになれば娘らしい艶(なま)めかしさが出てくることをいうことである。勿論男にも当てはまるので、男女のいずれにも使ったようである。おじさんは普段 枕を「むすめ十八」として使っていた。この使い方多くの方が使っていると思う。振り返っても 人生で最も楽しいのが 男も女も十八・九であったように思う。
それにしても 枕の「鬼も十八」は使いづらい言葉である。またお茶につきものの「出がらし」も同様であり、相手に失礼に当たるような状態をいう言葉なので人が主語となるシーンには使えないと思って来た。娘さんの十台にまつわる言葉は多くて 箸が転がるような(転んでも)何でもないことでもおかしがってけらけらと笑う、特に十代後半の年(とし)ごろの女の子を指す言葉も多い。
それにしても「年頃」と言うことは昔から良く取り上げられる。やはり有名なのは 孔子の論語の言葉であろうか?『子の曰く、吾れ 十有五にして学に志す。 三十にして立つ。 四十にして惑わず。 五十にして天命を知る。 六十にして耳順がう。 七十にして心の欲する所に従って、 矩を踰えず。』 意味は・・「わたしは十五歳で学問に志し、 三十になって独立した立場を持ち、 四十になってあれこれと迷わず、 五十になって天命(人間の力を超えた運命)をわきまえ、 六十になって人の言葉がすなおに聞かれ、 七十になると思うままにふるまって、 それで道をはずれないようになった。」と言う事で・・高校生の頃 授業の漢文で読んだのが初見である。おじさん 70歳を超えたのだが・・これまでを振り返っても 自身が未熟で この文章は当たっていないと思う事ばかりである。
そんなためか? おじさんは 伊達政宗の詩が好きである。
馬上少年過 馬上少年(ばじょうしょうねん)過(す)ぐ
世平白髪多 世平(よたい)らかにして白髪(はくはつ)多し
残躯天所赦 残躯(ざんく)天(てん)の赦(ゆる)す所(ところ)
不楽是如何 楽(たの)しまずして是(これ)を如何(いか)にせん
現代語訳すれば 戦場に馬を馳せた青春の日々は遠く過ぎ去った。今や天下泰平。俺の髪の毛もすっかり白くなった。生き残ったこの身の処し方くらいは どうしようと天は許してくれる。楽しまないでどうする。・・と言ったところであり・・そんな流れで・・金はないけど 楽しみながら暮らしている。
おじさん七十 番茶も出がらし