「人生上手く生きたが 得なんだ」とばかり 自身の側で生きていかれては大変迷惑なことである。早々 全ての面で上手く乗り切れる訳もなく、どこかで 荷物を他人・家族などに背負わせれば・・可能なんだろうと良く思う。されど・・と言う事である。人に迷惑も掛けないように・・結論を先に言えば 「上手く生きない方が楽しい」と言う事である。人生 行き当たりばったりで 良いと思っている。
サラリーマンを定年退職する際 「大過なく」を付けて答えることが多いのだが、大過がある方が楽しい日々を送くれるように思う。おじさんは サラリーマン時代は 入社2年目から新規事業などに廻され、社内には相談しても「?」と言われることが常であり、社外あるいは関連団体などで相談するので・・自社の基準類などに整合せず 失敗・間違いも多発となることもあった。しかし そうした色々の失敗が おじさんを鍛えてくれたように思っている。何度も不始末をしたとされ、始末書も何度も提出させられた思い出がある。
おじさん 38歳で全く縁も無かった船舶設計の世界に飛び込んだのだが、それを助けてくれたのはCADとタンク建設などの石油基地等プラント工事の経験であった。30歳過ぎの頃から 精製部門から そうした設備・プラントを作るエンジニア的仕事をするようになり、関係する設計会社で打ち合わせなどで、多くの時間を設計会社で過ごすことが多くなった。午前中に勤務している事務所から 電車で系列会社でもある設計会社の事務所で事前打ち合わせをした後、千代田化工・三菱重工関連などエンジニアリング部門の社員と打ち合わせることが多かった。その為 午前中の会議終了後に 一時帰社するのも面倒・・・考え物となり、その時間で設計事務所の新しく導入したCADAMなどを操作して遊んでいた。その体験・経験が 後日脱サラ後の進路を決めてくれた。当時 CADは 海のものとも山のものともつかなかったので、設計会社のプロパー社員は手書きで十分と 自身の腕に覚えもあり 使わないので・・マシンの空き時間が多かった為である。そんな状態なので おじさん 時間つぶしがてら・・操作説明書から読み始め、誰も教えてくれない中 操作しながら半ば遊んでいた。それでも将来は この形つまりデジタル化・CAD化することは 体感と時流から直ぐに分かった。
サラリーマンにとって 新規事業開発出向・派遣と言えども、主流からはずれるわけなので 下手すりゃ冷や飯食らい状態である。おじさん入社から 飛ばしに飛ばされ 順繰りに日本各地の事業所を巡り、他社などにも研修に出されるなどされて来たので、正直どこで仕事をしても 環境が変化しても あまり苦にするタイプでもなかった。 新会社設立となれば いの一番に飛ばされて、運営・組織などの目鼻が付くと本社に帰された。おじさんも 会社で主流に属していれば、簡単に会社を辞めることもなかったと思う。適当に ワードあるいはエクセルなどパソコンが使えていれば・・50歳近くまで仕事をして行けた様に思う。仕事の守備範囲を超えてCADを触ることもなかった。そうした経験の結果が・・船舶設計に関わることになり、当時の最先端であったLNG船設計などに関わることが出来て 面白・楽しく仕事をさせていただいた。正直 造船関係でも 取引が次々とデジタル化が進んでいくので、従前からのベテランを差し置いて仕事を頂けた。そうして時間が経つに従い、価格競争で韓国・中国に席巻されシェアが下がっていき、結果引退直前まで仕事を楽しくさせていただいたことには 感謝している。
サラリーマン時代 燃料屋さん屋として・・上手く生きられなかったことが
楽しく半生を送らせて頂いた 要因と思っている。
行き当たりばったりで・・上等!