釣りをしていると 魚が釣れないことにはしばしば巡り合う。子供の頃はため池でフナ釣り、少し大きくなって来ると海で投げ釣りをしていた。

 冬の北風は吹き荒れているが、おじさんの住んでる町は北側が海であり、投げる時には逆風を受けるが、しゃがみ込むと堤防の陰で風が当たらない。何となく弱くさしてくる太陽を背中に浴びながら陽だまりを楽しみ、竿先を見ながら「当たり」を待っていたことを思い出す。

 カレイ・ウナギ・コチ・ベラなど 海底が砂地になので、掛かれば晩御飯のおかずとなる。みんな貧乏なので・・子供が釣りをするなどは歓迎される雰囲気であった。その為 以前書いた岸壁前の捨て石で、サンマの頭でおびき寄せ、火ばさみでカニを取って帰ると婆さんから褒められたのと同様である。

 当時 8角形に加工した竹材を張り合わせて作られた竹製投げ竿が、グラスファイバーの投げ竿への変革の時代であった。父の友人から古い竹の投げ竿をいただき、それをもっぱら愛用した。

 後年同級生がグラスファイバーを手に入れてくると・・対抗心を燃やし・・父の友人サンタさんを拝み倒して・・手に入れた思い出もある。

 何度か父と父の友人などと一緒に釣りをしたが、父はほとんど釣りをしたことが無く、忙しく子供時代に仕事していたことを父たちの会話で知った。もちろん子供の仕事であるので、旧家での子守であった。それも おじさんの同級生の父親が赤ちゃんの頃の話であり、背中に同級生の父親をおぶって子守していたということを知った。その為か 同級生の父親が公的要職についていたが、父からは完全に呼び捨て状態で会話していたのも目にしたこともある。

 話が逸れて行ったのでもとに戻して・・家から500m程の塩田の護岸が釣り場所であり、その前日にゴカイを掘って準備していた。家から古い鍬を持ち出し、引き潮の浅瀬を掘り返す。普段はゴカイが多いがたまに本虫が採れる。本虫は子供の掘るスピードだとよく逃げられてしまうが、運が良ければ巡り合う。本虫だとカレイなどがよく釣れた。

 採ったゴカイは空き缶に海水を入れ、軒下で翌日に備えた。後年 雑誌で保存がきくと読んで、冷蔵庫の中に缶に入れて置いた時は・・ばあ様から こっぴどく叱られた。

ダメを楽しむ

 釣れない時は友達と話して気を紛らわせたりすることなどが、ダメを楽しむ第一歩である。一緒に同じことをしながら友達と話すことは大事なことである。友達よりもっと軽い・・四国遍路の「同行」に近いものであったとしてもである。

 例えれば カレーを食べながら「愛情いっぱいのカレーよりも 肉いっぱいのカレーだよ」と答えるような会話するようじゃダメなことにも似ている。多くの事柄は人の気持ちなどを介して 繋がっていることに気付いておくべきである。釣りの釣れない時間の過ごし方と釣れてない同行者との会話などが大事である。そんなことが人への気配り そして緩い人間関係を生む最初である。素直もほどほどが良い。

 当然・・そこで留まるだけでは釣りの技術は上手くなれない。釣り技術では 針を小さなものに変え、誘いをかけるならパターンを変えて、釣り場所を変え・・あるいは手練手管を繰り出す人を見て盗み、ヨイショしながら教えてもらい・・あるいは雑誌を読みながらネタを仕込む。

 日頃の努力の成果を出しながらも・・釣果は変わらないことが多い。そんな時でも やれるだけ出来たことを おじさんは楽しいと思った。結果なんぞはどうでも良い。友達とだべりながら、チャレンジを尽くしたかが大事なことと思って生きて来た。仕事も同じ様なものである。

 ダメで元々・・色々迷い辿ることに意味がある。

投稿者

おじさん

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