人生において 選択は煩雑に登場し、選択を迫られる。自分の判断基準・価値観などが決まっていれば、迷いは生じないので、選択の場面でも簡単に決めて何のストレスも感じない。つまり自分の内面にある判断基準・価値観というものを、選択のたびに検討するからストレスを感じる。問題の本質は自分の内面にあるとするのが当たり前と感じる。

ある時期 この考え方を変えるのが、小人と大人を分ける頃 あるいはところかなと思う。でも競争にさらされないのか?変わらない方もいる。それが個性であり、変わるべきとは言わない。

選択の際 自分の心が決めたので・・・などは誰でも云うし書いてるので、参考にすれば 納得いく答えは何とか出て来る。従っておじさんは別の考え方を諸兄に問うてみたい。

「AかBか」ではなく「AもBも」

人生の中で、選択を迫られる場面というのは何度もあっても「AかBか」という二者択一の選択は、日々の生活の中でも頻繁に出てきます。先ほど書いた通り 自分の判断基準・価値観などが決まっていればそうでもないが、そんなに覚悟も決めず生きているので、「AかBか」を選ぶ時に迷います。「迷う」というのは、辛いことでストレスが貯まります。

ところが「AかBか」ではなく、やりようによっては「AもBも」取ってしまえる場合も結構多い。「AもBも」となると、今度は自分の内面の問題だけではなくなります。

単純に言えば 技術的な問題に近くなってしまう。そうすると 自分の内面の価値観を確認する訳ではないので、ストレス度合いが一気に下がります。

劇で言えば ハムレットではなくベニスの商人になる転機である。欲望に忠実に生きることも理解出来るようになる。

「AもBも」取るにはどうやればいいかという技術的な問題になると、自分の心の中に「迷い」はありませんから、とてもスピーディに事が運びます。

いろんな場面で「AかBか」という選択を迫られたら、これは本当に二者択一でないとダメなのか? 両方を取ることはできないのか? と考えて見るのも大人の流儀です。

たとえ

子供の頃、おじが両手に「チョコレートとガムと、どっちが欲しい?」と訪ねられた時、おじさんはチョコレートとガムを見比べながら 「う~ん」と悩んでいました。

その瞬間、横から姉がパッとチョコレートもガムも掴んで「どっちも!」と言って持ち逃げしました。

それ以来、いろんな場面で「本当にどっちかを選ばなきゃならないのか?」と疑問に思うようになりました。「どっちも好きで・・・ゴチになります」というのは、世間では結構あり、出来ることに気付けば・・・どうすれば出来るか考え始めます。

子供の頃は 「どっちもいい?」と聞くだけで状況はかわりました。大人になって「どっち?」と聞かれて、その場では○○と言って・・・両方ゴチになったこともありました。具体的内容は詳しくは書きたくもなく また言いたくありませんが・・・恋多き時代 多くの方が体験され、多くの誰もが通る道と思っています。多分ご想像いただく通りかと思いますし、誰にもモテ期はあるものです。

最後に おじさん清く正しい青春を送ったとは言えないことを後悔しつつ、今では「お陰様で」と振り返っています。そして 感謝!感謝!と思い今日も暮らしています。

投稿者

おじさん

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