茶道を考えると千利休によって大成された茶道は江戸時代に入り、大きくふたつの道にわかれていく。ひとつは千家3代の宗旦が広めたわび茶。祖父である利休の道をさらに発展させたスタイル。もうひとつが、利休の弟子のひとりである古田織部の茶の湯を継承した「きれいさび」といわれる茶道である。

おじさん茶道などはやったことも無い。だが抹茶を飲む程度は家に道具があるので、適当に好みの濃さで点てて飲んで来た。おじさんは織部チックな陶器などの焼き物が個人的に好きなのだが、抹茶茶碗本体は歪みが大きい場合もあり、遊び過ぎて好みではない。因みに解説では「満つれば欠くる美意識」の言葉もあるが・・・この辺りは個人の好みなのでお許しいただきたい。そうしたこともあって、茶道関係の本を読んで「きれいさび」には関心を持ってはいる。

「きれいさび」その名のとおり、わびさびの世界に、美しさや豊かさを加えて、調和の美を目指した茶道のことである。江戸時代の大名である小堀遠州(こぼり えんしゅう)がその茶道を発展させ、現在にまで受け継がれている。

様式美

おじさんにとって最も苦手なのが、茶道の持つ様式美である。お湯を沸かす炭の種類そして配置まで決められ、風炉と呼ばれる火鉢の中に刻む模様にさえ 美に心を配り用意する。炭点前と言うらしいが、まあ大変というしかない。

その他 客を迎える準備作業などを読んでると、気が遠くなると同時に 招待された客もそれに気づかないといけないとの覚悟がいる。万事気を張ることである。

ここまでくると付き合っていられないとの感がおじさんの中に湧いて来る。食いしん坊なので「懐石料理」の中に流れる美意識(感覚)を楽しみ・食べること位までなら何とか我慢出来るか?としか思わない。

育ちが適当なので エアコンの効いた部屋で、椅子に座りつつ美味しい懐石料理とお茶がいただければ最高であると結論をつけて 早々に逃げ出す。

作庭

京都南禅寺と言えば、石川五右衛門が歌舞伎の演目『楼門五三桐(さんもん ごさんのきり)』で三門に登り、京の都を見渡して、「絶景かな、絶景かな」と見得を切る場面が有名である。

大きい石を目立たせない様に、寝かせて使う感性も良い。

南禅寺大方丈の南側に広がる白砂が敷かれた細長い矩形の庭。江戸時代初期の代表的な枯山水庭園として、国の名勝に指定されている方丈庭園は、小堀遠州の作と伝えられている。白砂と築地壁に面して置かれた大小6つの石が見事なバランスのこの庭は、その様を川を渡る虎の親子に見立て、中国の故事に倣って「虎の子渡しの庭」と呼ばれている。なお 以上ガイドを写して書いたものの 具体的にどの石がどの虎かまではおじさん知らない。

また中国の故事とは置いといて・・・実を言うと石の数は 通常は3、5,7の奇数が採用されます。また全体における石の配置バランスも 石を一方に置いて他は白砂です。人によっては 残された石一個を何処に石を置きたいかと聞く場合もありますが、おじさんは小堀遠州が意図的に欠けさせたかと思っています。彼の美意識「満つれば欠くる美意識」によってなされたことかと思っています。そしてお約束を守らなかった理由付けに 「虎の子渡し」としたと思っています。

中国故事

母虎とその3匹の子虎は川の対岸に渡ろうとしていました。この3匹の子虎のうちの1匹はとても獰猛で、母虎が注意して見ていないと、他の2匹を食い殺してしまう恐れがあります。しかし、対岸へは1匹ずつしか連れて行けません。2匹が食べられてしまうことなく、無事に3匹を対岸に渡すにはどうすれば良いかと母虎は考えました。

最初に 獰猛な子虎を連れて川を渡りました。そして、母虎だけ戻って、次の1匹を連れて渡りました。対岸に着いたら、獰猛な子虎を連れて再び戻り、獰猛な子虎を残して、もう1匹の子虎を連れて渡りました。最後に母虎だけが戻って、獰猛な子虎を連れて渡ったのです。これで、母虎と3匹の子虎は無事に川を渡ることが出来たのでした。

まあ 親になるには子供一人一人に気を配り難儀なことだが、子供は当然と思っている。場合によっては「私だけ・・」などと思っている。そんなものと解かるのは、お互い相手が歳取ったり居なくなってのことと解かる。「いつまでも あると思うな親と金」同様の「気付き」であることが多い。

投稿者

おじさん

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