昨夜は大雨 一転して明け方より晴天である。奥さんがシュンギクを好きなため、春のタネ直蒔きとして 一昨日 中葉シュンギクの古いタネを蒔いた。この大雨・・芽の出にくいシュンギクにすれば 恵みの雨である。昨年の9月からこの4月まで家庭菜園に手を入れていないので、在庫しているタネなどは古いものが多い。古いタネなので発芽率は大きく下がるのが常識である。シュンギクのタネだと ダイソーの100円ショップで2袋100円で手に入るのだが・・・やはり古いタネを蒔いた。
安易にゴミ箱に入れることをしない方が おじさんの気性に合う。最近は かすみ目ならぬ かすみ頭となっているのだが・・昔から「命がもったいない」と言うことを考えてしまう。家庭菜園でも多くのタネを蒔いてその中から選抜していくのが常である。しかし家庭菜園を続けていると、そうした選抜をして順調に育って実るはずのものが残るが、それだけでは順調と言えない事態が発生したりする。そうした時 最初は関西で言う「あかんたれ」なものが大きくなるにしたがって、他に勝ることも見て・体験する。そうした体験をしてくると全てのものがいとおしい存在にも思えて来るのだが・・それでも間引きなどをしてやらないと大きく成れないことも仕方がないと理解している。
やはりどこかで線引きをしないと育てることが出来なくなる。「馬謖(ばしょく)を斬る」と言う言葉があるのだが、三国志で諸葛孔明が 軍と言う規律を保つために 重用していた配下の馬謖が命に従わず 魏に大敗したために、泣いて斬罪に処したことに由来する。間引く作業も似たようなものであり、発芽直後からしばらくは 競い合わせてお互いを切磋琢磨させる。しかし一定の大きさになればお互いが根を伸ばし、葉を広げるので お互いが成長を阻害する。共倒れとなる恐れがあるので 成長させるには間引いてやらなといけないのである。子供を育てるのは 全ての子供に手を抜けないのが親としての当たり前である。しかし 全ての子供に平等に当たろうとしても・・成長と独立の始まりを見ていればそうも理想状態など維持出来ない。それを押して付き合いベストを尽くすのが 親である。
現在 ズキーニ・トウモロコシの苗を作るためにポット苗を仕込んでいるのだが、タネは各ポットに1粒しか蒔いていない。ポットを大きめのものにして、発芽しなければ再度タネを1粒追加する。そんな環境でも 成長するにしたがってポット苗同士が大きくなり、葉が触れ合って成長して行く。商売・効率で作っていないので・・好きにしてるだけである。生産と割り切れば・・タネを多く蒔き、間引きながら育てるのが効率が良い。
分かちゃいるけど やめられない。