物事を進めようとする時に大事なことは前例を作ることである。前例があれば多少のトラブルがあっても、こんな前例もありましたので・・・と周囲を説得し実行し、次からはやり易くなる。その為にも一人で抱える様な愚かしいことをしてはいけない。関係者で一致協力し、力を合わせ 前例を作ることである。作ってしまえば・・多くの場合「えへっ」と笑いながら 前と同じですと変化させ利用出来、後は楽勝(楽笑 らくしょう)である。

 先駆けは難しいことであり 想定外もたくさん出て来る。そんな時 細かいところをカバーしてくれたり助けてくれるのが同行者(仲間・知人・友)である。四国遍路の杖 金剛杖と同じである。金剛杖は弘法大師そのもの。 常に弘法大師とともに歩くという意味で南無大師遍照金剛同行二人の文字が記されている。一人だけではないと半ば思いながら 切り開いていく。富士に昇る時も同じ様なものである。

 虚心坦懐 皆様の力を借りながらピンボールの如く飛ばされ、流されることも大事である。

 先日から原付バイク・スケートボードなどについての扱いが変化しつつある。こんな時こそ変化について研究して置かないと・・自分が何かの発起した時に方針が立てられず諦めることになる。ネタはあっちこっちにあるものと思っている。

思想・宗教

 マルクスなどは宗教について「自己対象化による自己喪失」と簡単に論破している。この意味は 本来人間自身の持っている美徳などを勝手に神という対象物にあると信じて・・信仰している。今風でいえば「沼落ち」と捉えれている。

 中国共産党にも同じような流れが見れて面白い。赤い表紙の毛沢東語録がまさにそれである。「造反有理」と叫びつつ手帳を振り 反革命分子なるものをやり玉に挙げていく。習近平の父はこれにやられて・・習近平も地方に飛ばされている。以前も書いたが習近平は何度も共産党入党を求め願書を出して入党し、成り上がった。中国は科挙の国 マルクス・共産党などは建前だけのこと・・聖書を振り回し中世を支配したカトリック同様である。バイブルを聖書とするか?毛沢東語録とするか?振り回す教典にこじつけているだけである。自分と自分の家族を叩き落した毛沢東を排除できない習近平・・中国人の限界を見せている気がする。 

 思想あるいは宗教は 日本に古くからある節分の行事での言葉「鰯の頭も信心から」同様のものと思っている。怒る方がいるかと思うが・・イワシの頭のようなつまらないものでも信心する人には尊く思われる。 物事をかたくなに信じる人は救い難いとも思っている。

 こんな方たちとは・・・一時的には良いが長く付き合うのは難しい。一時のことと割り切って付き合って置けば良い。理解は出来るが・・従えない。

行政

 思想と同じ様に取り扱い方法などを組み立てて 誤謬(ごびゅう)誤りないとしていくのが、行政での手続きである。行政に関わるのが政治家でもある。許認可に置いて政治家を使い特例を狙うこともある。申請する側も受け付ける側も極力前例通りと行動するので、多少おかしくても体裁を整えれば問題ない事が多い。下手に議員・知己に一時的に力を借りて 無理やりした結果・・後日申請書などで間違い(誤謬)があったことにされ、親の代に得た許可を子供の代で 設備更新・再建築など地位継続継承が難しいとされたケースも多く知っている。

 女性に対する差別意識はないが・・女性は多くの場合 紋切り型にしようとするので、一旦男性職員と打ち合わせ納得させた場合も再度連絡が来て、書類の変更などを言ってくることがある。その為 女性ベテラン職員などから連絡があった場合 再度の書類の整合性を求めて来ただけが多いと了解して置くことも大事である。逆に女性の求めるものを作成するため、遠慮なく事例などを見せて頂くなど 遠慮してやり方を確認しない方が馬鹿を見ることが多い。もちろん 下手に自分の見解に拘ればドツボとなる。

そんな時は行政組織等で ほぼ決済が終了しているので慌てず、相手の求めるまま対応すれば問題はない。相手が求めているのは・・他ケースとの整合性であると理解して置けば良い。

投稿者

おじさん

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