年代的な言葉なのかと思うが 大事な考え方と思っている。概念と言うほうが良いのではないかと思うが、子供の頃 親から良く聞いた言葉である。

「人様の邪魔にならない」、「人様のお陰」などがある。特に親が商売をしていたので良く聞かされたとも思う。一人で生きてるんじゃないという心がないと この言葉は判らないと思う。

日本人の基本的考え方と思っているし、この考え方が抜けて行く時代とも思う。

外食

月に一度くらい親が「シナそば」今でいうラーメン、あるいは洋食屋でカレー、オムライスなどを食べに連れて行って貰った。思い出せば 月に一度の店の休みと娯楽 相当の贅沢と言った方が良いと思う。焼肉のホルモンなどもあったが、当時は換気も悪く 七輪でモウモウ状態となるためか?金額が高かったのか?おじさんち(家)では行かなかった。

そんななか 店が立て混んでいる時 よもよも食べていると「遊ばないで 早く食べろ 待つ方が早く座れるように」と言われた。店を出た後は「ご互い様、人様をの邪魔にならない」などと父から諭された。

また 半年に一度のような動物園、デパートの屋上遊園地などでベンチに座っていると、人様とベンチなどは共有している 端に座る様に注意された。なお その際も父はベンチには座らなかった。規模・設備などが貧弱かつ 団塊の世代と子供達と子供が多い時代でもあったので、そんなことが影響したかもしれない。

当然ながら おじさん結婚後 子供とファミレスなどに行くことも躊躇した。こぼす・落とす・投げるなど食事するテーブルは散らかり放題。その為 人様に迷惑をかけると考え、子供が3歳頃になるまでは遠慮させていただいた。最近はファミレスなどに行っても、小さい子供も自由にやっているので時の流れを感じる。また子供の頭を軽く叩く親もいて・・・いかがなものかと考えさせられる。

電線音頭

いつの時代に変わったのだろうと考えていると「電線音頭」に考え至る。最初から「人の迷惑顧みず」と始まる。今もお元気な伊東四朗氏と昨年惜しまれつつ亡くなった小松政夫氏が登場して、ゲリラ的な番組として演出していた。

懐かしいキャンディーズ・・・芸能界では伊藤蘭だけ残ったようです。

この時代から「人の迷惑顧みず」が「人様」を凌駕していったようだ。おじさんが10代後半世の中が急激に豊かになった時代に重なる。

この歳が来ると「人様あるいは若いのに邪魔にならない様に、のんびりと・・・」となってくる。「つつましく生きること」を全てにわたり 考えないといけない歳となったようである。まあ ボチボチ人の迷惑にならないように考えていきます。

投稿者

おじさん

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