おじさんにとってはクスノキは「思い出の木」である。おじさんの曽祖父(3代前の爺さん:祖母の父)はこれで財をなし、天国と地獄を味わったと祖母(婆さん)から 膝の上で聞かされた。時代は明治 日本が台湾を統治していた頃 台湾に渡り、樟脳(しょうのう)生産をして財を成し、旅館、ガラス工場などを経営していたとのことである。婆さんは お付きのいるお嬢様として育てられたが・・・年頃になる前に、爺さんが事業に失敗して日本に帰って来たとのことである。

台湾に渡る前に田畑と住宅を売り払ていたので、日本には 墓土地と山林しかなった。曽祖父 元の田舎に帰るのも躊躇し、現在の住居の近くに越して借家した。まさに曽祖父は無一文になり、その後 再度チャレンジ。代を変えながら、買って売って買い替えて 現在の住居を手に入れ、田畑を手に入れたとのことである。その為 同じ町内・自治会内で 200m以内の半径で、3回引っ越して現在に至る。

おじさんもおじさんの父もそうだが、仕事で事業拡大などで無理をしないのは、祖母(婆さん)などの体験があり、悲惨な思いを家族にさせないことが底に流れるからである。

本日 散歩中ガードと当たらないように、誘導したものの結果は曲がってガイドに食い込んだクスノキを見て 何気に伝えておいたほうが良いと思い書くことを決めた。我が家の伝統というか おじさんもそうであるが・・・独立をしようがしまいが 自由で構わないと思う。家族を含め 皆が幸せに暮らしていければそれで良い。独立しても慌てて拡大しなくて良い。ゆっくりゆっくり 自力に合わせ拡大すれば良い。あるいは経営管理・組織そして家族を考えた上で 冷静に実行すれば良い。

樟脳(しょうのう)

クスノキの森が広がる四国高知、南九州の山麓で、木製の装置がさかんに蒸気を上げていた時代がある。樟脳(しょうのう)の製造光景である。チップ状にしたクスノキを甑(こしき)(蒸し桶)に入れて水蒸気蒸留すると、樟脳の白い結晶がとれる。

樟脳は江戸時代から日本の重要な輸出品だった。香料や防虫剤、医薬品に使われたほか、明治に入ってセルロイドが工業化されると原料の樟脳の需要が急増。日清戦争後にクスノキが豊富な台湾を統治した日本は、専売制を導入し巨利を博した。この専売制の政治的葛藤が曽祖父の失敗原因とおじさんは考えている。

あれこれ

クスノキ(樟、楠、Cinnamomum camphora)とは、クスノキ科ニッケイ属の常緑高木。

一般的にクスノキに使われる「楠」という字は本来は中国のタブノキを指す字である。別名クス、ナンジャモンジャ。暖地に生えて、巨木になる個体が多い。樟脳になる香木として知られ、飛鳥時代には仏像の材に使われた。

古くから寺や神社の境内にもよく植えられており、しばしば大木が見られ、ご神木として人々の信仰の対象とされるものもある。日本最大のクスノキは、鹿児島県蒲生八幡神社の「蒲生の大楠」(幹周24.2 m)で、確認されている中で、幹周の上では全樹種を通じて日本最大の巨木である。また、徳島県三好郡東みよし町には、1956年7月19日、文化財保護法により特別天然記念物に指定された大クスがあり、これは樹齢数千余年と推定され、根回り19メートル (m) 、目通りの周囲約13 m、枝張りは東西経45 m、南北経40 m、高さ約25 mである。

実が残り 新芽も見えるクスノキ 1/30

投稿者

おじさん

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