物心ついた頃からお金なるものは常に身近にあった。子供にとってはお金を自ら稼がないので その価値を知ることはない。大人にとってはお金の価値を再確認するべきは大事ではないかと思う。お金を稼ぐ苦労なくして物の価値判断は難しい。

クレヨンしんちゃんの中でミサエとしんちゃんが父であるヒロシに「安月給」と言うシーンがあった。おじさんも同様だが 誰もが多くのお金を家に入れることが出来ないのを知っているので・・・微妙に嫌だなと思った。

お金を手にするまでのことが分からないものは 話にならないと思っている。血と涙の結晶とまでは言わないが、お金を手の上に載せるまでの労苦はお察しいただきたい。

経験上 自分のお金以外でいくら持とうが、関係ないと思い生きている。只の物である。ある所にはあるもんだ。それにしても 年金生活 おじさん自身が小遣いが少なく悲しい。

売上集計

おじさんが幼稚園の頃、父が商売をやっていたので夕食前 売上集計していた。10円を板状の上に載せると合計500円で一杯となるカウンターがあり、レバーを押すと仕切りが外れお金が落ちていく。面白がって良くこの作業を手伝ったりした。500円が貯まると縦に並べ 紙でクルクル巻き500円とする。他の硬貨も同じような要領でまとめていた。

また 1円札,100円札がまだ流通していたので、それのしわ伸ばしを手伝うこともあった。

従がっておじさんは幼稚園の年少の頃から お金を触っていた。しわだらけの100円札伸ばしながらぽつんと言った父の言葉が印象に残っている。「有難い」の言葉だった。

思えば「数ある中から 選び・来て・買ってくれ 暮らせること」への感謝が最も大きかったと思う。お金あるいは商売そして周辺の人との関係を始めて考えた瞬間である。

お金は束

子供の頃 週単位に小遣いを貰っていた。それ故 駄菓子屋にて、残った「くじ」を買い占め、1等あるいは2等などを無理やりせしめていたことがあり、「お金は束」を自然に納得できた。無論 駄菓子屋のおばちゃんに相談の上の実行していた。一番最初 おばちゃんに相談なしで実行した際は 父からこっぴどく怒られたが、おばちゃんに相談しているのを 知ってからは何も言われなかった。

但し 一度に使ってしまうので後はピーピーなので・・・実のばあさんが不憫に思ったのか ばあさんから小遣いを貰ったのがバレて、これまた こっぴどく怒られた。今も お金が無くとも平気な顔をしている素地とも思う。

父が健康上の理由から商売を不動産屋に変えた。老眼を理由に良く民法の音読をさせられ、物件の概要を計るメジャー端持ちをさせられていた。たまには大金を入れたカバン持ちをさせられた。当時は司法書士事務所などで相手の親父に現金を渡すなど、それなりの額の決済を目撃した。その頃よく父から聞いたことは「毎日使うお金を集計すると額はそれなりだが呆気ない。お金は束にならないと 使う効果がない」とのことであった。

家は一軒

生涯で持ち家は1軒とは思わず育った。父が不動産屋だったのが原因であるが家が建て変わる。

建売などで大工さん他を抱え、仕事を確保するためだったと 今では理解できる。そうして建てた家 入居して10日もすると父が文句を言い始める。経過を数軒見ているので、人間は家一軒で満足することは無理があると分かった。人とは難儀な生き物であると同時に、満足したと説いている方に無理しなくてもと思う。おじさんその結果 家はそれなりで良いと思い暮らしている。

正直 こだわりが無ければ 無理しない。お金の制約はあるが、思うままに暮らせればよいと思う。田舎では100万円も出せば中古住宅が手に入ったりする。自分でDIYすれば 楽しく安価に暮らせる。

見方と考え方 人生で大事なことと思い暮らしている。例えば 老後不安が無いと言えば「うそ」になるが、おじさん本人が面倒だろうなと思いつつ、それなりになると思っている。悩みすぎるのは中国のことわざ 同様「杞憂」と思うことにしている。気苦労してストレスをため、短命になっては・・・幸せになろうとして不幸になる。正に 逆であり 本末転倒である。

杞憂:中国古代の杞の人が天が崩れ落ちてきはしないかと心配したという、「列子」天瑞の故事から出来た言葉。

投稿者

おじさん

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