今月も毎度のことのように 金欠病に罹ってしまった。年金生活 老後資金も潤沢でなく、年金も多くないので致し方ない・・しかし 毎度のことと受け流しながら、節約生活に努めている。金がないのは覚悟の上だったので・・仕方がないと思っている。
それなりに現役時代には稼いだが、子供3人が大学・大学院に行ったので、年数に換算すれば15年近い累計期間 学費を払い、マンション費用・仕送りすれば・・2000万円近い金を支出したことになる。子供にも 卒業後家にお金を入れてくれと要求もしなかったし、受け取ることも無かった。元気に仕事出来ていたので、おじさんは 親の負担を少なくする金を使うのであれば、子供自身の成長・自立のために使えと思っていた。そのため 子供をアテにせず 老後最低限の生活は出来るように 年金受給額を想定しながら、国民年金から厚生年金に切り替えるなどの努力はして来た。総体的には 仕事の先行きの展望というか?仕事の手仕舞時期の到来が3年ほど早かったことが痛かった。老後資金を貯めるべき時期が短時間であり過ぎた。同業者には 子供を事業承継者と・・造船会社などにアッピールして継続的仕事を求めたものもいたが、おじさんは 子供の将来を「質(しち)」に入れるようなものと思い・・しなかった。
諸般の情勢と65歳になったので、仕事は辞めると決断したのだが、その次に何をするかに迷った。造船会社内で嘱託として働かないか?とお声を掛けて頂いたが、奥さんが仕事を辞めて ばあ様を看ると言うことは難しいと感じた。奥さん本人も四六時中 姑と一緒なのは・・と言いたげであった。70代の老後を考えるとこのまま奥さんが仕事に出て、社会保険を掛け続けるメリットを考えた。制度を検討すれば おじさんが亡くなった後の年金は激減する。従って奥さんにかかる負担(お金・介護など)を少なくして。奥さん自身で 老後資金を貯めて貰うことにした。つまり おじさんはパート程度の仕事とし、ばあ様の日々の時間の大半を見守ることにした。奥さんはストレス無く・・小遣いもタップリ持って、楽しい日々を送っていると推察している。おじさんがいなくなれば・・そうはいかないとも思っている。
そんな選択・方針を決めた頃 年金受給者の所得は今と違い 年金とバイト代の合計が30万円を超えると年金を一気にカットされた。今では45万円ほどに改正(現在は50万円)されたのだが・・普通通りの仕事をするのも・・当時の税制とばあ様の見守りが原因であったことも 仕事をバイトとした理由である。従って 税制が66歳で改正されたことは 今も恨めしい。
そんな選択結果は老後資金に影響する。老後資金をカバー出来る3年から5年を 中途半端なバイトとしたので不足するのも仕方がない。それまでの仕事の延長と違うバイトなので稼げないことも仕方がないが・・サラリーマンのスタートが燃料屋さん 研修も受けたし、やることの大半は分かっていた。おじさんは販売部門ではなかったが、危険物資格は入社直後に乙4は取得しており 製造としてさらに上の甲種まで所持していた。それに片手程度のバイトなら、先輩が姉の同級生で幼馴染であり 親の後を継いで燃料屋の社長をしていたので・・電話一本でバイトを頼めた。お気楽に始めたバイトであり 時間の自由が利くので・・貧乏も仕方ない。
誰も 自分の選んだことが・・結果を生む