物事を実行する際 怖がらない人間にはいつも注意している。怖がりな人間を おじさん信用することが多い。但し同じ怖がりでも、怖いからの次の行動をどう工夫・アレンジするかが大事で有ると思っている。

例えば 失敗が怖いから注意して対象の細かいところまで見る。自分の技術・スキルの足りないことを恐れ、失敗しないように事前にあるいは普段もスキルを磨く。そんな風に行動していることが大事である。

慢心・恐れで対象をよく見ないで・・こんなものと思い行動すれば、ある程度上手くいくが、多くの場合失敗する。子供と言うか平社員なら良いが、その行動により会社が傾いたり、医者が患者を手術して上手くいかずに・・などの責任ある立場では異なる。半ば感覚的にリカバリーの仕方を知っている人と言った方が良いのかも知れない。

更に言うと 思いっきりの良さと怖がりが同居するような人間でないと、生き抜くことは難しいと思っている。思い切った判断と失敗したらと悩むような体験をすることで、ものを見る力がさらに形成されるような気がしている。自分自身のみと考えれば勇気はなかなか湧かないが、人の為と思えばまた変わる。

言い換えれば お一人様人生では見えない風景が、見えて来ることがあるということでもある。「人の為・・」実に面白い言葉である。

嫁を貰うもよし、いい部下を持つのも良しなどと思っている。自分自身の心と精神などを豊かに・強くしてくれる。たまに観察が不足で 方向を間違い不幸を買ってしまうことも見るが・・他人事なのでどうでも良い。

ビビり

ビビり 「びびる」の活用形であるが、主として「恥ずかしがる」「おじけづく」「気持ちが萎縮 (いしゅく) する」意味で使う。

正直 誰もが大舞台に上がればビビッてしまう。ビビッて委縮して失敗するのが怖いから何度も練習する。また自分自身が舞い上がり、自分自身も見えなくなっても同じことを出来る、あるいは本能的にやれるまで繰り返す。

怖がることもこれに似ている。心的要因を如何にカバーすることが大事なのだが、無条件に近づかないようにしてしまうと自身の成長が望めない。人の命を預かる医師ならともかくも、若いうちに1回2回失敗することは恥ずかしいことではない。如何に正しく行動するかを訓練と思わないといけない。それ故ここ迄ならリカバーできるとの領域に踏み込むことで自身を鍛えることである。また何度も踏み込んでレベルを挙げれば良いとし、やたらに挑戦しても加減が分からなければ・・おバカでもある。

「羹(あつもの)に懲りてあえ物を吹く」というが、物事を単純に批判してはならず、どうすればそうならないかと 第三者的見方を持つ大事さを考えるべきである。

おじさんの場合と言うか?自身の体験で書いたが、誰でも自身に合う方法を探せばよいと思う。以前フェイルセーフと言うことを書いたが、まあ似たような習慣付け・訓練である。

投稿者

おじさん

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です