「年寄りの冷や水」を書きながら、久々の午前1時過ぎまでいってしまった同期会について、感じるままに流して書いた。読み返して やはりこれは「お目汚しだよなあ」と思ってしまった。でもブログ自体がお目汚しと考えれば納得できると思い出した。

説明しないといけないかもしれないと・・「お目汚し」とはつまらないものあるいは取るに足らないものをお見せして申し訳ありません、と云う意味で使われる言葉です。

まあ 書いた本人が取るに足らない人生を歩んできたので、ブログを書いてる最中も、そう言うもんだねとの適当な感性で書き進める。最近の座右の銘が「適当が一番」となったようで、それなりに生きていければ楽しいと思っている。それ故 アクセス数を見ながら 読んでいただけたりしていることを知り、それなりに苦労して絞り出した作文の発表会と思うようにしている。小学生の頃 感想文などを立って音読したようなものと考えている。

何せ 人生は短いのでやりたいことはやっておきたいとの感性で生きている。この書いてる1時間後に、ぽっくり逝ってしまうかもしれないのが人間である。悔いを残さないのは無理かもしれないが、少しでも悔いは減らしたいと思っている。

お目が高い

書いてるうちに「お目」に引っかかりだした。いつもながら連想的に考えだす。

そう言えば「御目」が漢字だっと「御目見え」となる。江戸時代に大名や旗本が将軍に直接拝謁することあるいは資格である。となれば・・大名以下は「御目通り」もあった。

何時ものことながら連想的に記憶を引き出して、クイズに回答する様に遊びだす。まあ基本は「御目」とくれば「ヨイショ」言葉に関連していると方向を変える。

「お目が高い」とは言うけれど「お目が低い」とは使わない。最初が御目と尊敬語なんで そうなるよなと自然に納得する。「お目にかける」「お目にかかる」「お目にかなう」まあ丁寧・尊敬の言葉であると考えるのが当然である。

言葉遊びをするような事を 頭の中で考えながら楽しんでいる。これも年金生活・家庭菜園での作業から出て来たように思う。やはり時間を気にせず 生きることが出来るようになったことが影響していると思う。

昨日 夕方畑の真ん中で枯草をその他を燃やした。その際 振り返ると月・金星・木星が見えていた。そんな風景に心動かすのも時間の余裕である。焚火の揺らめく炎を見ていた背後にまた違うシーンがある。そんな気づきがあった。

帰り 炊事中の奥さんにそんなことを話したら、昼におじさんが取り入れたタカナを洗いながら・・○○○○(ないしょ)とのことであった。奥さんは お忙しいようで!

人それぞれ

投稿者

おじさん

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