現在の大家さんのイメージは、落語などから完全なご隠居と思う方が多いと思います。

落語などに出て来る大家さんなど、ほとんど年寄りとして演じられている。ところが江戸時代の大家さんは四〇前後の壮年が多かった。なぜかと言えば火事が起これば 火消し・鳶の親方と一緒に、現場に駆け付けるのが仕事であった。駈ける順番は 大家 頭 纏持ち(まといもち)の順で、大家は火消しの先頭を走る。現在の時代劇などにはないことなので、知らない方が大半である。

暴れん坊将軍では 「火消しの頭」の上がいないように設定されている。江戸時代の町内の警備小屋(現在の交番)である「自身番勤め」をする大家は年寄りでは務まらなかった。町内見守りの中心でもあり、火事の際は半鐘を鳴らし、火事が近ければ町内に知らせ、火消しの頭とともに出動しないといけなかった。大家は基本「町役人」の公的身分を持っていた。火事場でも他の火消し・町内との調整役であった。

火事が収まれば 住民の保護活動、お救い小屋への斡旋等多忙を極めた。年寄りでは務まらぬ仕事であった。

物干しざお

面白い話に現場に着いた時 纏持ち(まといもち)は屋根に上がるが、下からは纏が見えない。そこで大家さんは火事場に駆け付ける通り道で何本も物干しざおを盗んで(無断調達して)、現地で旗竿として使った。

物干しざおの先に町名を付けた札を下げ、消し口の範囲を示すのに使った。後で竿を返したかどうかまでは文献にない様である。

火事の際のことをもう少し書くと、自身番には大家に付き従う「番太郎」がいる。半鐘を鳴らし町内に声かけした後は「火事場おにぎり・弁当」を作って火事場に持っていく。定型は 揚げを煮締めて、飯を詰めておにぎりとする。その為 大家が出動した後は豆腐屋で揚げを手配し準備する。

形は今も良く食べる助六を 大型化したおにぎりである。

葛西舟

江戸時代 町内のトイレの汲み取りをお百姓が葛西近郊から汲み取り船(葛西船)を仕立てて、江戸府内でトイレの汲み取り買い取っていた。堀川・墨田川を横切り江戸府内の水路を行き来した。江戸城内も同様で 平川門から出入りしていたようである。

以前書いたが 現在の葛西の手前 東西線南砂町界隈はキュウリ促成栽培の発祥の地である。また小松菜 品種発祥の地とされる「小松」は葛西の傍である。江戸時代 この地域ではトイレの糞尿を肥料に使った。

そのため 長屋のトイレの汲み取りに伴い支払われる代金は 大家の懐と言うか、実質の給料であった。そうでもしなければ実入りもなく町役人の役目も果たせない。江戸時代の半ば合理的な役割であった。

持続可能な生活が江戸には存在した。

投稿者

おじさん

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