本日は晴れ時々曇り 風は冷たいが 日差しが当たれば暑くなる。先ほど牛丼を食べた後 店員の方から暖房寒いですかと問われた。「いいですよ」と答えたが、場所により気温が微妙に感じるのだろうと思った。

先週の土曜日散歩している時 小学校の運動会が開催されていた。でも運動会と言わず「秋季運動発表会」としていた。コロナのためか運動場には5年生と6年生最近は週休2日も増えたので土曜日に開催できる様である。また観客は5・6年生の父兄だけのようで・・・グランドは閑散とした雰囲気である。他の学年は別に時間をずらして実施するのだろうか?

大学でも対面授業が始まったらしく、大学に勤める姪がばあ様に近況電話をよこしたようである。この話を聞いて2年制短大の2年生の方々のことを考えると可哀想に思えた。あと半年で社会人である。対面授業が始まったものの、就職活動に入る方が即発生すると見込める。新しい友達も作れず、忙しい日々が始まる。家庭の事情が良く、計画留年 専門学校あるいは語学留学でも出来れば申し分ないが、そんな方は多くない。

こんな時代は 床の間の掛け軸「日々是好日」と思い生きることが大事と思う。もちろんおじさんの現状は「日々是休日」である。色々モジっても面白いフレーズ・ネタと思う。タイトルはそれに合わせた。

書いてる途中 高校時代の同級生が「日々是好色」と書いたのを思い出した。昔を思い出してクスとなった。

日々是好日

来る日も来る日も、楽しく平和なよい日が続く。直訳すれば、「毎日がよい日だ」とでもなるだろうか。禅の言葉らしく 雰囲気も言葉の意味も良いイメージであるので、掛軸などに揮毫(きごう)される場合も多く、世間にもっともよく知られている禅語の1つである。

しかし毎日がよい日だなんて、そんなノー天気な話があるわけないじゃないかと、いぶかることも理解出来るが、おじさんは そんなもん心を決めて生きることの勧めと思い捉えている。

子供の頃から「思い立ったが吉日」タイプの親に育てられたので、逆にそんな意味に捉えていたのも原因と思う。商売は不動産屋だったので客の大安吉日には気を配っていたが、自分のことになると大安吉日 気にもせずやっていた。それ故おじさんは「自分で決めて始めれば 後はどうでも心が決まるもんだ」と思っている。

先ずは基本チェック

禅の言葉で追いかけると「日日是好日」の読み方は「にちにちこれこうにち」と読みます。

おじさんのような素人は「ひびこれこうじつ」と読むことが多い。もちろんワードは「ひびこれこうじつ」で変換してくれるので、世間一般も同様と考えられる。

禅宗で禅問答を記しているもので『碧巌録』というものがあります。この禅問答のひとつに「日日是好日」という言葉が登場する。

雲門禅師と弟子との問答で「十五日以前は、汝に問わず。十五日以後、一句を言いもち来たれ。自ら代わって言わく。日日是好日。」これは雲門禅師が弟子たちに問いかけた内容です。現代語訳すれば「これまでのことはたずねないが、今から十五日待つので どうすべきか答えなさい。」と弟子たちにたずねましたが、誰も答えを返してこないので雲門禅師が自らこう言いました。「日日是好日」となるのでしょうか?

ある日はどんなことがあろうが、その瞬間しか訪れない日である。だからこそ全力で悔いなく生きていけば、どんな日でも好日なんだと・・・じゃあやっぱり 心を決めて生きてれば「思い立ったが吉日」と同じと心に落ちた。今日はアルバイト明け、もちろん「日々是休日」を満喫する。

投稿者

おじさん

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です