おじさん道楽と呼べるものを自身では体験したことがないと思っている。道楽とは何ぞやと道楽を検索する。道楽(どうらく)とは、

(1)自分の生活の中に仕事とは別に熱中できる趣味にふけり、それを楽しむこと。

(2)酒、色ごと、博打などの遊興にふけること。

と書かれているので・・・おじさん道楽とは無縁の生活を送って来たと改めて思う。まさに「清く・正しく・美しく」のようで 書いていて「お尻が痒いように思える」ようだが 事実である。

趣味としては いろいろチャレンジして来たが、「ふける」と言うことまでは独身時代までで、後は先立つものと時間に追われてしたことがない。もちろん先立つものは子育てに使い込んで、潤沢できなかった。道楽は「子供磨き」と考え、自分を慰めるほかないとも思う。

三大道楽

江戸時代の道楽には「三大道楽」と呼ばれるものがあったという。園芸道楽、釣り道楽、文芸道楽が挙げられる。

太平の世の中で 園芸道楽は、初期はツバキとキク 次がツツジ、アサガオ、ランが加わったという。大名たちなどは競い合うようにして庭園造りに熱中し、庭石や樹木が集められた。また各藩 藩邸に庭園を築くなどしたので 東京には今も多くの旧大名庭園があったりする。

他方 庶民も江戸浅草の朝顔市などに入れ込んでいる。また「斑入り植物」などを選び、品種として固定し、夏に涼しげな葉を揺らすのを楽しんでいる。まさに江戸は園芸大国であった。

釣り道楽としては、ほんの軽いものであれば、中川に船を浮かべて、芸者衆とキス、ハゼを釣った。従って 釣り竿に「手バネ」「水雷」など 小舟の船下用の釣り竿などバラエティーに富む。船宿に泊まりがけで行くのが旦那衆の釣りだったという。落語で「船徳」など若旦那が放蕩の末、船宿に転がり込んで引き起こす噺 あるいは旦那(ご隠居)がドクロを釣る「野ざらし」などもある。

文芸道楽では、俳諧、和歌、紀行文等々各ジャンルがあるが、奥が深く、さまざまな文人を生みだした。また、道楽というのは学問に極まる という。道楽は隠居してからが特に本格的になったという。

これを聞くにつけても おじさん近日の行状に問題なしと心強く思える。時間はあるが・・お金がないのが傷である。

落ちてはいけない道楽

江戸落語 八代目 林家正蔵の落語に「三道楽煩悩 さんどらぼんのう」という言葉が出てきます。人間には、道楽(趣味)というのがあるが、江戸時代の典型的な男の道楽は「飲む、打つ、買う」が登場します。 飲むは酒、打つは博打、買うはご婦人・・・。

今でも使われるので皆さんもよくご存知と思います。江戸では女性を買うのは吉原がありますが、そこでの噺『五人廻し』があります。『廻し』というのは、1人の芸者が複数のお客を掛け持ちしている状態のことを指します。お金を払って入場したはいいが、お目当ての芸者がなかなか来ない。来てもすぐ、どこかへ行ってしまう。現代のキャバクラと一緒。今も昔も変わらないヘルプのみで・・・時間を潰す。最後に請求見て オー!となる。いつの世も変わらない。

以上挙げた道楽は 「酒道楽」、「ばくち道楽」、「女道楽」など、本人の品位を損ね、自堕落になったり、他人に迷惑をかけたり、家庭環境を破綻させたりするおそれのあるものを含む。趣味への熱中度が甚だしくなり、自分の仕事に支障をきたすようになってしまったりする。そういった者は「道楽者」や「道楽息子」などと呼ばれ落語に登場する。過ぎたるものは及ばざるが如しとなる。

この歳が来れば 体力が無くなり、酒にスグ酔って寝てしまうなど なかなか道楽者になるのも難しくなった。おまけに 時間はあるが、先立つものがありません。先立つものはご想像のままに…おじさんはどちらもです。

投稿者

おじさん

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