先日 タモリさんの番組「ブラタモリ」の再放送で 四万十川を扱った番組を見た。

この中で「梼原(ゆすはら)」の地名が出て 急に思い出し、本日は坂本龍馬に話を振っていくことにした。

まったく強引のようであるが おじさん本人の頭の中では整合性が取れている。

結論は 後ほど。

四万十川源流点

源流点は高知県高岡郡津野町の不入山(いらずやま)にある。山に入るための簡単な準備さえしていれば、手軽に向かうことが出来るらしい。

途中までしか行ったことはないが、道路標識に書いてあったので道に迷わずいけると思う。

悪名高かった197号線(イクナ 今ではそれなり2車線)を高知 方面から愛媛大洲方面に走行すると約1時間半で「道の駅 布施が坂」に到着。

さらに進みトンネルを抜けた辺りに源流点を指す案内標識がある。

なお 分岐は 高知県須崎市にて56号線から197号線に分かれる。

書き足すと197号線の愛媛県伊方町(三崎港)~大分県大分市(佐賀関港)は 国道九四フェリーと海の国道となる。

この間 佐多岬の半島の山頂を走る区間はドライブが楽しい。

この海峡で取れる関サバと漁場が同じ三崎の「三崎サバ&アジ」を安価に味わいたい・・・と店に立ち寄っても 売り切れ続出。予約が必要です。

結局「三崎サバ&アジ」を おじさん味わったことしかない。(食いしん坊のため 横道に・・・)

四万十川遊覧

沈下橋

昔 四国一周旅行で中村市に車中泊した際 遊覧船にのった。その時 台風が数日前に悪しくも 高知県沖合を通り過ぎたため水の透明度はそれなり。

川岸の樹木に農業用ビニールが たなびくなど残念な風景であった。沈下橋も「あれ&これ」で終わり。

目的地は「トンボ自然公園」のみ 今となっては 子供を連れてるとこんなもんだなと納得している。

四万十川に生息するアカメ

坂本龍馬と脱藩街道

先ほど国道197号線をクドク書いたが愛媛側の大洲は 江戸時代 伊予国大洲藩の中心である。

太平洋を見る龍馬

坂本龍馬が設立した「海援隊」は大洲藩の船 いろは丸 の貸付(レンタル)を受け運航を始める。

慶応3年4月23日午後11時頃 最初の航海で瀬戸内海、備讃瀬戸の六島(現在の岡山県笠岡市)で紀州藩の明光丸(887トン)と衝突。

近くの鞆港(現在の広島県福山市)に曳航しようとしたが、浸水のため宇治島沖で沈没した。

賠償の交渉には土佐藩の後藤象二郎が加わり、事は土佐藩と紀州藩の事件に発展しました。

結果「万国公法」をもとに土佐藩 坂本龍馬側が勝利した。

沈没し積荷回収不能のため 積荷にあることないこと加えて 紀州藩から賠償金をもぎ取ったようです。これは坂本龍馬暗殺の原因の一つとされています。

前後しますが 龍馬脱藩の経過を・・・

坂本龍馬は文久二年(一八六二)三月二十四日高知を出奔。二十五日に梼原(ゆすはら)に到着。

その夜 梼原の勤王の志士 那須俊平・信吾父子の家に泊まり、翌二十六日未明、俊平・信吾父子の道案内により、宮野々番所を抜け、四万川茶や谷の松ヶ峠番所を抜けて、予土県境・韮ヶ峠を越え 伊予の国(愛媛県)に脱藩したとされる。

梼原町公式リンク    http://www.town.yusuhara.kochi.jp/    

国道197号線 2度ほど通りましたが バイクとテントで里道を行けばと思いつつ、縁遠くなってしまいました。

歴史と地名

歴史が好きで 本を読んでいる時、おじさん記憶力が弱いためなのか、よく地図を見ながら時間と空間を統合して認識しようとしてきた。

その為「ブラタモリ」で 四万十川 源流点と梼原(ゆすはら)の地名等で思い出した。

おじさん同様 記憶力に自信のない方にはお勧めかも知れません。よろしければ 歴史と地名関連記憶ご利用ください。 

日本史ではなく世界史の方は フランスを勉強するときは ローヌ川をご覧ください。同じようなことに気づかれると思います。

おじさん 人は色々と記憶法を言う。けれど記憶力が弱ければ 何回も繰り返すのでなく、自分に合うように工夫するのも「手」と思います。

それにつけても 何の手掛かりもなく覚えることが出来る 記憶力の素晴らしい方が 羨ましい。

投稿者

おじさん

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