我が家では鶏を飼ったことがないので 卵は250mほど離れた養鶏場に買いに行っていた。庭先の養鶏場と言うのがぴったりで、100羽ほどが2段のゲージに入れられていた。各ゲージの下に卵が点前に転がってくる段があり、前面で取り出せた。現在のような24時間卵生産工場のような大量飼育、大量採卵などなかった。ゲージの前をおばさんが かごに入れながら歩いて取ってくれた。

肉屋さんは200mほど離れた所にあったが 肉はほとんど鶏肉だった。それ以外の肉は町の肉屋さんでないと入らなため、注文するとバタバタに乗った町の肉屋のおじさんが持って来ていた。

近所の家でもニワトリを10羽ほど小屋で飼っていた。前面は金網ではなく、竹を等間隔に取り付けたシンプルなものであった。

ニワトリを捌く

小学生2年の頃 初めて自宅でニワトリを捌く途中を見た。家のひさしの先に紐をつけ、毛を取った裸のニワトリが吊るされ 頭がバケツに入れられていた。怖々 見に行くとニワトリの頭はなかった。

タケさんと呼ばれていたおじさんが「卵を産まなくなったので 絞めた」と教えてくれた。いろいろ聞いたが光景が衝撃的であったためか あまり覚えていない。

分業

普段ケンタッキーなどを食べていても ニワトリの命をいただいている感はない。社会が余りに分業化しすぎて、感覚的に理解できる状態となっていない。魚を食べるときもほとんど魚の頭はなしで食べている。しかし料理番組で若い女性が「魚の目が・・・気持ち悪い」と言うのを聞くと 「君は今まで分からず食べていたのか」と聞きたくなる。

おじさん ばあ様から「食事は 命をいただきますので礼儀正しく 感謝を込めて」と子供の頃から何度も聞かされ、正座し 手を合わせ食べていた。また今のような切り身ではなく 魚本体を捌くところからの調理を見て来た。

先ほどの若い女性を見て「無知は罪なこと。自らの罪を意識しない」と思ったものの、これだけ分業化されると知らないことが多くなりすぎて・・・仕方ないのか!と半ば思う。

想いと食欲

子供の頃 お祭りで買ってきたヒヨコ ほとんど育つ途中でだめになった。

小学3年になった時 前述のタケさん宅にて 稲わらで編んだ籠に電球を入れ、温めながらヒヨコを飼っているのを見た。それをヒントに段ボールを重ねた箱に入れ、夜は風呂場に運んで湯船のふたの上で飼った。

その年 初めてヒヨコを上手く育てることが出来た。露店で買った餌もなくなり、養鶏場に行って餌を売って貰った。リンゴ箱に移しさらに大きくなった時、事件は起きる。

学校から帰ると・・・ニワトリがいない。ばあ様に聞くと 「雄鶏なので これ以上大きくなると朝鳴いて困るので・・・絞めて貰った。」と聞かされた。その夜 水炊きで鶏肉が出た。

今では水炊き何ぞ普通の感はあるが、当時はご馳走であった。ニワトリへの想いと食欲の狭間で・・・さほど苦しむことなく食べてしまった。

グルマン誕生の瞬間であった。おじさん子供の頃から デリカシー不足!

でも それからお祭りでヒヨコを買うことはなくなった。

鶏水焚き