おじさんが燃料会社に入った当時の目標は 「白物化」と「脱硫」であった。脱硫は硫黄酸化物対策として 公害防止のため当然のことであった。しかし 輸入される原油の性状が白物と言われるガソリン・ケロシンなどの軽質留分の収率(取れる量)が悪かった。日本の輸入できる原油自体に 重油などのように黒くないナフサ&ケロシンなどが少なく、通常の蒸留だけでは少ない。そこでFCC流動接触分解・改質REFORMERそしてアルキレート(ガソリン合成)などで白物を割り増ししていた。

 今 4月初めなので・・思いだすのは入社後の「たらいまわし」の如き、各部門での新人研修・実習であった。入社直後は 本社で会社員としての挨拶などの躾・行儀と会社組織などのガイダンス。4月の半ばには 即現場に飛ばされて・・精製部門であった。蒸留をスタートに各装置を廻り、その後 サンプル試験など各部門を一月単位で概要と現場点検・管理を体験させられた。そんな時 蒸留塔などの頂上でホット目の前の海と対岸などを見つめて・・今で言う工場夜景を楽しみ 潮風に吹かれながら、緩い時間を過ごすひと時があった。懐かしい思い出でもある。

 製油所で研修していた頃は 独身寮での段ボールとカバン一つの生活で・・個室であったが 備え付けのベット・タンス(引き出し付)・机があるだけ。布団はリース会社からの貸出品で、製油所の次は低温ガス基地と分かっていたので、月単位精算であった。バブルの名残もあり、個人が用意することなく 半分以上会社が負担していた。食事は独身寮の食堂と工場の食堂にて 予約と事前購入したチケットで支払い・・休日以外は運航するバスで 製油所まで通勤すると言う カゴの鳥状態であった。その為 たまの休みの嬉しかったこと・・今も思い出す。

 おじさんが燃料会社を辞める頃 韓国・産油国などから ナフサ・ガソリン・軽油などの輸入が大ぴっらに始まり、輸入したものと原油精製からのものを合わせて流通するようになっていた。当然液化石油ガス(LPG)なども同様に足りないので輸入していた。現在の姿はその発展したものである。ガスは蒸留などの特性上 低温にしない場合は水分が多くなるので 輸入物との混合はしない。個人的なことであるが おじさん退職してもガスとの縁は切れず・・おじさん LNG・LPG船などの絵を 年間の半分は描いていた。

 国家備蓄などは基本原油でなされる。製品で備蓄するには ナフサなどの軽質留分では 保管時揮発していくロスが多いため 単独での長期保管は適さない。保管するならロスを理解・覚悟してとなる。また原油の性状で取り出せない不足を補う製品輸入は止められない。ライトナフサ・軽油・A重油も同様である。ここで知識として小型船舶の燃料となるA重油は 実質99%は軽油であり1%程度のV RES.(バキュームレスジュー:アスファルトの一種)で色付けしたものである。そんな訳でこれからも長く ライトナフサ・軽油・A重油は不足する。また 時節柄製油所の定期点検修理が始り、毎月 日本中のどこかの製油所が止めて行く季節でもある・・そんなことで ジイの心配は尽きない。まあ 心配するだけである・・まあ どうにか みんなで頑張りましょう!

 またメタン・エタンが主要成分であるLNGは再液化のコストが高く、プロパン・ブタンのLPGの再液化コストは安い。従ってLNGは気化したガスを使いつつ運送・保管が最適であり、LPGは再液化しながら保管しても 再液化と動力のコスト見合いで大丈夫。LNG船は多くがシステム上 LNGを消費しながらタンクの低温を維持するので、ペルシャ湾での長期滞船が長引くと・・寄港して積み込みの際にトラブルが発生し易い。

さてさて 令和のオイルショック

 どうなることやら? 当然節約しているが

 ・・全体がもっと節約しないといけない!

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おじさん

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