孫のネットアルバムを見ていると 本日も子供が親ばかしてふざけている動画が流れ・・実にあほらしい!と思ってしまった。当然のことと・・当たり前だのクラッカーと思いながら・・子供を育てるのは責任もあり 一言で言っても大変とも思う。しかし その楽しさ・喜びを感じることが出来るのは大事なことでもある。正直 困ったことも 色々体験するが・・それに倍する喜びがある。トータルに言えば 貰うもの・感じさせられるものが多いように思える。
人と人は関係し合って 新たなものが見えて来る。正直コスパ・効率なんぞはどうでもよい話し、遠回り結構! 寄り道などは当たり前!そんな無駄で骨折り損なことを体験しながら感じる。また おじさんのように子供がそれぞれ独立した立場となれば、子供とおじさんでは物事の捉え方は いささか違うのが明確になると同時に・・何れ分かるだろうと考えてしまう。おじさん自身もそうだったと思うからである。
親子が お互いに時差があるのに気付かず それぞれの独立した考えを持って変わって行く。子供が自身が体験しだすと時間差を乗り越えて 逆の立場を理解しだす。結論が近いところに帰結する不思議も思う。
おじさんは 子供を持たないと言う考えも理解はするが、こうして歳を取って来た段階で 奥さんが一人になることを考えると、子供がいるおじさんの安堵感は大きい。そうとは限らないが・・普通はおじさんが先に逝く。子供に奥さんの面倒を見て貰うことなどは考えていないが、電話一本 ちょっとした相談が出来る肉親がいることは大きいと思う。
パートナーがいる環境 典型的なケースである夫婦二人 二人が生きてるうちは大丈夫と思うが、どちらかが欠けた場合は状況が変わっていく。健康な時は何ともないのが 体調などを崩せばまた話も変わっていく。そんな微妙なことはあるのだが・・大局では パートナーがいる環境は居心地が良いのはお分かりいただけると思う。いくつまで生きるか分からない・・当てのない旅をするにも同行するものがあるからこそ 楽しく過ごせるように思う。おじさんの住む四国には八十八か所巡礼があるが、「同行二人(どうぎょうににん)」と笠などに記し、弘法大師と共に歩く・・同じようなものである。
子供も同行となりうる存在であることが分かれば、老い逸れとぞんざいに付き合うわけにもいけない。しかし子供を得るのも 天命と言うか?縁あってのものなので・・恵まれれば楽しく・・素直に 親ばかをやれば良いと思っている。
明日のことは誰にも分からない。それ故 今を楽しめば良いと思っている。
確実なことは
たかが 自分の子 トンビである