最近 「タイパ」つまり無駄な時間を減らすことを 当然と言い出す方が多いのに驚く。時間を無駄にしたくないと 直ぐネット検索するなどして、しばらく 考え・思い出し・悩む間(ま)というか?楽しむチャンスを潰して 経験することをスポイルしてのが 勿体ないように思える。

 おじさんも現役時代はその傾向が強かったが・・学生時代を思い出して タイパをコントロールすべきと思い変えた。受験勉強などで 数学の問題などを解いていると、考える時間がもったいない様に思えた。しかしその経験が 考える方法などを色々進化させることに繋がると考えて 止めた。

 おじさん 受験勉強なので時間制限して考えることを思い出した。分からない数学の問題に当たって 長く悩むと 勉強全体のスケジュールがこなせない。そこで 壁に当たれば最低5分は考える。5分経っても分からなければ・・答えを見る。答えを見て理解して 書き写して覚える。そして問題には分からなかったことをマークして、後日見た時に分かるようにしていた。1週間以上経って忘れた頃(たった1週間とは おじさん 頭悪い!) 再度チャレンジして解けたらOKと書き、ダメならダメなことを記録する。要は短時間で頭の中に考え方などが織り込まれたか否かを確認するだけである。出来ないことを潰していくだけであった。

 タイパなどと言い出したのは センター試験など一斉の学力検査検定が始まってからと思っている。短時間で正確な回答をすることを求められる要素が高いのだが・・これで合否が決まることは それなりの大学までである。旧七帝大などのように傾斜配点などが厳しければ、本学での試験成績が優先する。そうすると思考力と言うか?問題を考える解決する力を育ててないと対応できない。おじさんの時代は 一斉の学力検定制度がなかった。全て本学での受験一発勝負であった。ネットもないのでネット検索などスグ出来ないので、まあ時代が違うと言えばそれだけであるが・・考える力を身に付ける方法として有効と思っている。 

「小賢しい」と言う少し悪口気味の言葉があるが・・ さしでがましく利口ぶっている。なまいきである。一言で評すれば 「こましゃくれ」している。そして 更に 浅薄な抜けめのなさ・卑劣なずるさを身につけているなど 少し悪がしこいなどに通じる。昔から要領が良いのは評価とならず、一歩一歩進めることが 大人の世界では評価されるので・・あまり良い意味はない。

 最後に 友達などと昔 一緒に見た洋画の主役の名前はすぐ出て来るが、共演していた役者の名前が出てこない。昔の友と二人して「あれ・それ・・」と言いながら さんざん悩んだ挙句に・・出て来た時の感動が懐かしい・・ググればと済まされたら・・言い年した大人が 悩んで・共有する楽しさの一端が一瞬で消えてしまう。若い方には分からない感性かもしれない。

昭和は 遠くになりにけり

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おじさん

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