おじさん昨日 「非正規雇用」について書いていた時、奥さんを選んだことに大きな間違いがなかったと思った。縁あって結婚したのは 一時の思いだけじゃないんだと改めて思った。何となく奥さんの性格を含んで、決めていたことを思い出した。奥さんの嫌なところは両手の指でも足りないくらいあるのだが・・そのあたりに決心する際の微妙さが存在する。
家族のメンバーである祖父母・父母・兄弟そして奥さん・子供なのだが、普通に寿命で考えれば 順番は 期間が少ないのは祖父母 そして父母・子供 そして兄弟 最後が奥さんとなる可能性が高い。こうやって考えてみると 好きに生きるには奥さんに恵まれないと難しいと考えているが、これまでの人生 半ば恵まれてばかりじゃないとは感じる。しかし 離婚を決断するまでは行かないが・・関西人の「大概にしとけ!」と思う事は度々であった。しかし 会社を辞め 自立して生きる決断に反対はして頂いたが、何とか一緒に歩いていただいたことは感謝している。好きに生きるのも 奥さんによるところが大きい。
好き勝手に思っている事なのだが 生活の中で普段はおじさんが我慢するのが常であり、したいことも我慢しながら 少ない小遣いでも耐え忍んで生きて来たと思っている。おまけに一生懸命仕事して生活費・子供の学費など賄ってきたのに・・家族からは そう思われていないようで、感謝もこれといってないとも感じる。つまり努力の空振り状態を 人生の大半で経験して来たと感じる。
向こうは向こうで 同じようなことを返して来るとは想定している。世話する老人あるいは子供がいない場合には判らないかもしれないが、立場が変われば見方・考え方が変わる。人とは自分の都合優先で生きているのが常である。だからこそ 皆が勝手気まま 好きに暮らせていることが最良の状態と思う事にしている。
それぞれで良い
よく書いているが「適当が一番」と生きて来たのだが・・・昨日TV番組見ていて 若い子が将来の日本でどう生きて行けばよいのか?老後・社会負担などにボヤキを入れていた。正面からボヤいているので、それ違うだろとしか思えなかった。誰もあんたに 国単位になるようなことをお願いして頼んでもいないし・・好きに生きれば いいんじゃない!としか言いようがない。マナーを守り人に優しくまた配慮して、したいことしながら生きて行けばればいいんじゃないのとしか思えない。
人間 色々な人間がいて色々な趣味・生活などしている。多方面に向けて好きに生きる つまり 数学のベクトルのような目的と行動・方向などを持って生きて・・結果 自分が幸せになれば・隣にいる家族・人などを幸せに出来ると思っている。中国のような国でもなく・・内心の自由どころか、人を傷つけるあるいは裸で走りまわって 人様の顰蹙(ひんしゅく)迷惑などをかけない限り自由である。誰もが同じものを見ながら 少しずつ違う世界を見れる。
そんな人間が集まるからこそ、危機・緊急時に対応する時など それぞれが力を合わせて対応できアイデアも出る。中国のような国で上の号令で行き先を決め集中するので 一時的な総力は発揮されるが、ひとたび狂いだすと立ち直りは難しい。今 そんな中国社会の変動を見つめながら・・感じることは大事である。
おじさん 自身の子供・孫にも同じだが・・常に思っているのは
それぞれで良い!