不動産取得税の減免関係書類を作成中思わず思い出してしまった。書類はボールペン1本でなんとでも書けるが、インクジェットプリンターを持っていないので写真をどうするか・・ファミマを利用するか?と考えた。おじさんが脱サラ以降のスタンスを改めて思った。

朝 現場で写真を撮影し、ファミマ1枚80円で3枚プリントアウトするだけだが・・・機械というかスマホが言うことを聞かないので往生した。事前にファミマのサイトからアプリをインストールしておいたが・・上手く動かない。仕方なくフアミマ内で再インストールとなった。キャッシュカードコーナーでお金を出す方が後ろを通り過ぎる・・・2人ほどには ご迷惑かけますと謝った。それでも何とか操作を終え、写真を入手できた。

いつもなら 店員さんを知っているので頼み込むのだが・・入店直後にレジの中を見たところ、シフトに入っているのは おじさんより5歳若い店長である。

だめだこりゃ!アテにならない! 諦めての初挑戦となる。ティモンディ 高岸君と同じ「やれば出来る!」である。

書類より写真に手間取る。人生に多いパターンである。雑務を如何に短時間で片づけることが出来ないと豊かな時間を持てない。貧乏故に暇なしとなり易く 生活しないといけなくなる。

やはりこの雑務の効率的な片付けが出来ないと・・無駄な時間を使ってしまう。基本 時間を掛けたいところに掛けられなくなってしまう。

仕事

大体 仕事は実務つまりジョブは出来るのが当たり前だが、日本は年功社会のためジョブを出来ない管理職がマウントを取り、話をややこしくすることが多い。メンバーシップ型雇用の限界を見せたところで、おじさんのような 幾分頭が働きが悪く・足腰が痛い年齢層がいるので大変である。使うのに困った くそ爺たちである。

オマケに会社は ゼネラリストとスペシャリストを加えて、年功で給料決定すれば、給料への不満も全開となる。・・面倒なことである。昔ながらの社員管理などでは、現代を乗り切れない。

仕事と能力そして会社への貢献度など、従来からの年功の優先を下げ評価することが必要となる。だが・・・社会変革は中々難しそうである。

そうなると数学のように書けば、実績×期間=貢献度・給料のようにした中から、期間という時間が評価から比重が落ちて来る。「継続は力」などだけでは済ませてくれない。

昔は昔 今 実績を残さないと どうにもならない。「今でしょ」が全てとなる。

サラリーマンにとってもつらいというか?厳しい時代を迎える。何年も前に活躍したことは評価の対象にはならない。

そんな時代を迎えるので おじさんがアドバイス出来ることは、なんにでも顔を突っ込んで、挑戦・体験しろということである。またメジャーな競争相手が多い場所での仕事は厳しい。隙間がどこにあるか見つけるというか?探してその分野のノウハウを確保することである。

そして 「空(から)でも 自信を持て!」である。多少自信がなくても・・・「やれば 出来る!」と思うことである。

CAD

おじさんは 元燃料会社に勤めて、最初は石油の蒸留プラントなどの運転などをしていた。

数年ごとに どんどん部門・会社を移動させられ、30代後半ではエンジニアリング部門に在籍していた。地域の流通網を充実他のため プラントとかタンクなどを作る仕事である。そこで タンクという鋼構造物・配管の設計を学び、これが造船などへの理解を助けた。

おじさんは脱サラした時代が設計がCADとなる時期であった。電話回線がモデムで通信可能となり、従来からのデータ移動の形は一気に変わる。図面もDXFファイルでCAD間でのある程度の互換性が確保出来た。CADは関連子会社と言うか 関連設計会社にキャダムと呼ばれたソフトと描画するプロッターがあった。しかし 紙に書く方が多かったのでCADはよく空いていた。そこで おじさん設計会社との打ち合わせ後、時間が空けば夜までCADを操作して遊んでいた。

そんな時間をサラリーマン時代経験したので、設計がCAD化される時代に会社を興し、運営できた。 従来の造船業で手書きされていた方々はそのままであった。そう言う事情で仕事確保は順調に推移出来た。競争が厳しくなったのは、CADが低価格化して 手書きされていた方々のCAD導入あるいは異業種からの参入など、競争相手が多くなってからである。

状況が変わったので・・AUTO PIPEなどの配管の応力解析などを仕事のコアに変えていった。変化を恐れてはいけないことが大事であると思う理由である。そして 社会・仕事には隙間が必ず発生するということである。

そんなことをやっている内に 日本の造船業自体が中韓に追い込まれて、造船会社自体の受注が減り 造船会社の操業自体が厳しくなった。そんな時 65歳になったので潔く会社を休止した。

同業者にはオールインして付いていっているのもいる。今はそれでよいのかもしれないが、子供の時代に子供が苦労する。子供が目指した道と異なれば、なおさらと思う。

自由に生きることが人間の基本である。飯を食うために多少の無理は仕方ないが・・自由に・・好きなように生きろ!と孫&子供には思う。「やれば 出来る!」と応援したい。

投稿者

おじさん

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