良く出て来る「世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」伊勢物語 八二段 渚の院に出て来る。もとは 在原業平が詠んだもので、古今和歌集の詞書には、「渚の院で桜を見て詠んだ歌」と記されています。

意味としてはそのままに捉えて「春はのどかな季節であるのに、人は桜が咲くのを待ち、散るのが気になり落ち着きません。」ぐらいなのだが 桜があるために人々の心が穏やかでないことを述べて、人の心を騒ぎ立てる力のある桜の素晴らしさを伝えようとしている。

高校時代 覚えて以来 何気に変化させて使うのがおじさんの常である。

おじさんは俗物なので「もしもないとどう変わるのか」「もしもしなかったらどうする」など好き勝手に変えて思考を楽しむと言うか、仮想のネタを組み合わせるる際などに使う。

例えば 普通一つや二つは酒での失敗は誰にでもある。そうした中で失敗した原因を「酒」にするのか?「運不運」にするのか?「パートナー」など人にするのか?「電車」などものにするのか?・・当てはめる項目というか「こと」は数多く考えられる。

友人によれば あの時酒を飲みすぎ 酔った勢いで〇〇〇となり、結果「きっかけ」などにした方もいれば、酒を飲まなかったので無駄なお金を使わず、好きな車が買えたということもある。

酒がなかったら、酒があったので・・何々になった。そして理由と結論の順番を変えても良いと思われる。 

原因と結果そして理由など 組み合わせあるいは原因の発生タイミング・理由で大きく変わっていく。場合によっては逆の状態・結果になることもある。そんなことが多いので・・なかりせばとした後、結果と理由を 無理やりくっつけ・押し付けて、組み合わせが成立するか考えて遊ぶ。

遊ぶと言うより 思考訓練に近いかも知れないと思っている。

映画

「世の中にたえて桜のなかりせば」

宝田明さんの遺作という事と、タイトルが気になっていましたが、見ていません。不登校や教師いじめみたいなストーリーと人間の終局を絡めて書いたものかと推察しながら・・・放置してます。

変わるもの・変わらぬものと分けていくことが、自分的に面倒くさく、全ては変わると思い生きているからかもしれません。いかに変化を見つけネタにしていくのかということは、仕事上は欠かせません。年齢的に無理やり走らなくても、年金などでそれなりに生活していけるのでサボリ出してます。

半ば サボる癖が付き過ぎて来たのかも?とも思っています。TVで流されたり、DVDが転売されるようになれば見るかもしれません。

投稿者

おじさん

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