4月となり 孫の保育園通いが始まり、生き帰りに情けない顔をしているようである。ところが 園に預ける際は駄々をそんなに・・こねないようで・・今しばらくのことと思っている。

それでも ジイの感想は「正常に育ち、大切に育てられたことが分かる」というものである。逆にホイホイ子供が保育士さんに懐い(なつい)たら・・反対に親が傷つく。そんなものとあきらめ、今までの育て方に問題なかったと思えば良い。

人間この歳が来ても、やらなかったことが頭に浮かぶことがある。子供とは仕事にかまけて時間を取ることは余りなかった。唯一まともに時間を取ったのは、真ん中の子供の中学校の算数が怪しいと感じた時である。具体的に言えば「分数」からが解っていなかった。

おじさんは人生のルートはいくらでもあると思うタイプなので、ピアノが好きならそれでよい。自分に合わせた学校を選択すればよいとした。成績もそれなりなので 進路について高校は・・と言ったが、子供からは「いやだ!」とされ、時間もないのでおじさんが教えることにした。

基本的考え方は 「簡単なことをキッチリ理解したうえで、反復する」ことが重要性を伝え、やり方を伝えた。小学校から始め中学の範囲までとした。算数が理解できたのか・・数か月で 成績で言えば、算数はビリ近くからトップ3位になった。その後 高校生になっても全く同じであると伝え、教えるのを止めた。他の教科はあまり見なくとも、勉強の要領が分かったのか勝手に伸びたようである。

経験

おじさん自身 勉強が出来ない子供だったので、悪い成績から這い上がる経験があったので、どうするかということは分かっていた。高校2年の始めの頃 病欠し、勉強の出来る友人のノートを借りた結果 勉強の仕方が分かり・・後は教科ごとにやり直したら・・それなりの学力になっていた。

それ故 頭のいい悪いは 地頭(じあたま:もともと持っている能力)はあっても、使えていないのが原因と思っている。それを妨げる最大の要因は心の中の「優越感・劣等感」などの発揮のさせ方と思う。

30代近くになって 心理学のアドラーの考え方を読んだとき、スーと自身の過去の経過が理解出来た。またそれ以降「変われぬものは・・・」といろいろ思う。奥さん・子供に接する時も同じである。アドラー心理学で奥さんを考え、話すと被害を受ける恐れがあるので・・話さないし書きもしない。

人間やり直すと決めたときは ダメになった・キッチリ解らなくなった直前、勉強できなくなった前から 再度見直しを始めることをお勧めする。これは勉強など個人単独で行う場合は当たり前である。経験から言えば、見直しに時間が掛かるようで掛からない。勘所というのか要点が、自然に連係して結びつくので、時間が短縮される。

下手なプライドで最初からキッチリやり直せない場合は、時間だけを浪費して 具体的結果は出てこない。組み立て直す気力がなければ、始めた実力以上は難しい。白紙にして基礎を固めるためか、前よりさらに高い所には行ける。受験などで結果が出ないタイプに多く存在する固執タイプをよく見て来た。頭は柔軟に使わないといけない。

実を言えば仕事も環境を整えれば、似た様なものである。住居と食事を満足させるところから始まる。日常生活を繰り返すことを念頭に優先順位をつけることが最初である。住居と食事そして習慣が一定・まともであれば、簡単に落ちることはない。

なお 人間関係などは即座に変えることは難しいので、周囲から・ゆっくりが基本である。苦手な方に 面と向かってなんでも出来ることはない。時間をかけて 徐々にしか対処できない。後は自分に合わせてやり方をデザインするしかない。

最後に近況・・おじさん隠居して何か始めたいと思っているが・・浮かばない。この世におさらばした時、跡に残さず綺麗さっぱりなくなるものが良いと思いながら、探す日々である。重ねて書いておくが、お金に関しては元から持っていないので・・綺麗さっぱりなくなるのは見えている。これは確実である。

投稿者

おじさん

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