日本の産業の動静の傾向は、集中を避けることが近年の傾向かと思う。サラリーマン経営者がトップに立つので、任期の期間中ごたごたを起こしたくもないのでバランスを取ることに腐心しているように思う。従って日本が単純にシェアを取って行くことは、短期・中期的には難しい状況に陥っている。

液晶パネルのシャープが一気に凋落したのを見てきたので、誰でも考えることが当然と思える。

中国・韓国などは財閥あるいは補助金受け取りなど政権意向に食い込んだ企業が存在する。韓国の半導体、中国の不動産・バッテリー・自然エネルギー機器などは、国の支援を受けながら 価格勝負をし、完全にシェアを取ってしまうところまで投資していく。

韓国の造船会社が何年も赤字で運営できる不思議である。現在 韓国が取ったとされたLNG船の納期問題で、中国がその受注を奪ったとの報道があり、これまた激烈な値下げ&シェア取り合戦の最中である。

集中は戦闘時の基本戦術である。いかに一点に力を注ぎ勝を納めるかが古来より確立された方法である。無理やりシェア獲得は必要ないが、長く経済的優位を確保するためには 最低限維持しなければならないシェアは存在する。

無理やり「勝ち」を求めないトップの代表は、日本のサラリーマン社長と思う。将来 欧米のように 社長の給料を天井知らずに持って行かないと、勝ちにこだわる組織とはならない様に思う。

クラウゼヴィッツ

日本が明治を迎え、軍隊を整えるにあたりドイツのプロシャにおける軍制を参考にした。正式に書けばカール・フィーリプ・ゴットリープ・フォン・クラウゼヴィッツ えらく長い名前であるが、プロイセン王国の軍人で軍事学者である。最終階級は少将である。

ナポレオン戦争にプロイセン軍の将校として参加しており、シャルンホルスト将軍およびグナイゼナウ将軍に師事。戦後は研究と著述に専念したが、彼の死後1832年に発表された『戦争論』にて 戦略、戦闘、戦術の研究領域において重要な業績を示した。

おじさんは「戦争が他の手段を以ってする政治の延長」だと戦争論で結論している点が好きである。

戦争とは拡大された決闘であり、そこには暴力に基づいた相互作用が働いていると考える。この相互作用はエスカレーションをもたらすものであり、戦争における暴力の極大使用の原因ともされている。この暴力の相互作用は限界がないために、この法則に支配される戦争は、最終的には完全に敵を打倒する絶対的戦争に至るものとされている。しかし絶対的戦争は現実の戦史には見られない戦争であり、戦争における暴力の相互作用は政治的、社会的、経済的、地理的な要因によって抑制されるためである。

ここが出発点となり、体系的に具現化してモルトケらが ドイツ参謀本部を作り上げていく。クラウゼヴィッツが哲学を作り、モルトケらが哲学を具現化した。

モルトケが人選して日本に派遣されたのは ドイツ陸軍の参謀将校メッケル少佐であった。メッケルの軍事理論と参謀養成教育がその後の日本陸軍のあり方に大きな影響を及ぼした。これにより近代戦を日本軍士官は統一した基本的考えと行動規範を持ち、戦うことになった。集団がバラバラになっても個別に目標を目指す小集団で戦うので、戦闘でそれなりの戦いを出来たと思う。

明治に 薩摩、長州、土佐 3 藩の献兵 1 万をもって陸軍が創設され、第二次大戦まで続くことになる。日清・日露と帝国主義時代を日本が生き抜く戦争を行うことになった。その中で国・国民共に貧しく、厳しい状況で戦ったためか、精神性を強調する意見が溢れることになる。

画して 第二次大戦中の標語「一億総・・・」などを見ると、総力戦時代の負けが素直に理解出来る。根性・大和魂など精神性を打ち出すようになれば、組織・集団は崩壊する。会社も同様であり、先ずは設備を整えることである。軍隊で言えば 根性があっても 竹やりでは鉄砲に立ち向かえないようなものである。

ラッキー

あることない事 滅多やたらに言ってみて遣ってみて 千三つでも良いので当たればラッキーと言う手をさすのが、世界には多い。トレンドを捉え、ポジションを一種の椅子取りゲームのように奪い合うのが世界の趨勢である。現在の日本人には馴染んでいない考え方である。

おじさんも言えないがツイツイ「大過なく・・」とやってしまう。平和な日本の中で生きているからこそと考える。これまでの考えだけでは世界をリードする大人を作れないと思う。

昨日 孫が縄跳び出来るようになった動画が家族アルバムにアップされていた。奥さんと話したが、奥さんは「急に出来るようになった」と喜んでいた。逆におじさんは「出来る迄 待ってやるのが親の役目。出来たら褒めれば良い」と言った。孫の状況 「大事に育てられている」と思っている。

おじさんは 基本が「無事是名馬」である。何事も無ければそれでよい。無理やり子供にやるようには仕向けないし、動かそうとも思わない。本人が気付くまで待つのが良い。下手に手出しをすれば、心が傷つくこともある。我ながら日本人的感性で子育てしたと思っている。

そうとは言え 今までの一括平等から機会平等などをどう理解させるか考えないといけない時代になったとも感じる。子供にどう教えるか、どこまで許容されるかも親にとっては大きなテーマでもある。また親ガチャ(逆に言えば 子ガチャ)と称されるような親子間の問題もある。

しかし 子育ても終了したので・・・お気楽に書ける。古今東西 ジイは孫を甘やかすのが仕事である。看ているだけで済むので・・・責任もなく有難い。子供たち 頑張ってね!

机上の空論とまでは言わないが・・おじさんの頭の中では すでに机上のことである。

投稿者

おじさん

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