三式戦闘機(さんしきせんとうき)「飛燕」(ひえん)は 1943年(昭和18年)に制式採用された陸軍戦闘機である。開発・製造は川崎航空機により行われた。設計主務者は土井武夫、副主任は大和田信である。10年ほど前 川崎重工が発見された破損機のレストアを行い神戸ポートピアにて披露された。おじさんも当時は元気な頃で ジャイロキャノピーにて神戸に行き見学、帰路 赤穂他瀬戸内海沿岸などを原チャリツーリングした。

他にも好きな機体が多いが、常に機体とはバランスの取れた設計を要求されることを念頭にこの2機を選んだ。正直ページ数が増えそうで・・適当なところに納めるのに・・途中 面倒くさいと何度持ったことか。

総括して見れば、エンジンが当時の日本では難しいエンジンであった。例えばベアリングの玉 機械作業のドイツと手仕上げの日本との差である。基礎的工業力のない状況での、日本人として先人の奮闘に感動を覚える。

久々に飛行機について書いてみると「三つ子の魂 百までも」というが、思わず「そうだね!」と思ってしまい・・まだまだ・・と心が震える。男は死ぬまでバカと改めて感じる。

翼型

三式戦闘機の主翼は全幅12m、面積20m2、アスペクト比7.2という高い比率の翼形を採用した。比較しているP-51B型でアスペクト比は5.9 他はBf109Eで6.0、零式艦上戦闘機は6.4であり、日本陸軍他の戦闘機、一式戦闘機、二式単座戦闘機、四式戦闘機も6.0 – 6.08程度となっている。これらと比較して三式戦闘機の主翼はアスペクト比が高い。これは翼面荷重を小さくするよりも翼幅荷重を低くした方が、高速性能・運動性能、および高々度性能を確保できるという土井の設計思想によるものである。

また主翼の主桁は左右一体構造で作られた頑丈なものであり 主桁(しゅけた)はⅠ型断面のものが多く用いられ、翼前縁でボックス構造で強度を確保していた。三式戦闘機のものは凵型のアルミ合金を二重にしたものを前後のウェブで上下に組み合わせ箱形としたものとなり、フランジ部は結合された主翼小骨のものも合わせて三重となるなど、強度は問題なく頑丈過ぎる構造であった。

余談であるが毎年琵琶湖で行われる鳥人間コンテストの翼は最近は 主桁 にカーボンの丸パイプを採用している。昔の 鳥人間コンテストの 翼は主翼前縁でボックス構造を採用していた。ボックス構造を採用してないものは強度不足で途中でポッキリと折れるのをよく見た。今も同じ形状でポッキリを見ると「予算が無くとも構造は確実に」と思いつつ 頑張れ若造と素直に応援する。

P-51の翼で特記すべきは「層流翼型」である。翼型は層流の範囲を大きくし、空気抵抗を減少させる目的でノースアメリカンがNACAと共同開発した層流翼(NAA/NACA 45–100)を採用した。翼が厚くなることによる抗力の増大をおさえ高速時は有利となるが、失速特性(急激な運動時の気流の剥がれ方)が悪いので、ドッグファイトが避けられない戦闘機にはあまり用いられなかった。翼の厚みは確保しやすいので降着装置・機関銃・弾薬・燃料を収納するのに充分なスペースを確保し、翼下に武装や増槽を搭載できる強度も確保できた。

機体

おじさんは機体のラジエーターの取付にムスタングのセンスの良さを感じる。機体表面の境界層を避けるようにインテークを下げ気味にして、その後部では乱流となる為丸く成形するセンスである。三式戦 飛燕はこの辺りがムスタングに比べ大雑把に見える。新幹線の外板も同じだが丸く加工するほど職人の手間が掛かる。生産性の余裕を認めない軍用機の宿命とも思える。ムスタングではラジエター前後の背圧コントロール(メレディス効果)利用したとあるが、おじさんは当時の技術で背圧をダンパーでコントロールするシステムは難しいので 話半分と考え、形状への設計者のこだわりと思っている。

ムスタング 冷却器

飛燕のラジエーター取付は ドイツのBF109メッサーシュミット・彗星艦爆などのエンジン直下のラジエターに比べれば、空力的には優れている。加えておじさんが思ってきたことであるが、ラジエーターの前にオイルクーラーとおぼしき突起部品が付いている。おじさんは これがボルテックスジェネレーターの役割を果たすため、境界層はラジエーター入口では乱れている。それ故 境界層制御を考慮しなかったと考えている。さらに言えば突起部品の取付部を一体化させて空力抵抗の削減を行うのが普通であるが、形状は2本に分けている。境界層剥離・乱流の発生を狙っているとしか思えない。

ご異論がある方は 機首側エンジンエアインテークの写真を貼付するので、ご説明頂きたい。

この辺りのメリハリを付けた設計が川崎らしくておじさんは好きである。単純に抗力の増加する突起物を無神経に機体表面に配置することはない。設置せざるを得ないのであれば、技術的においしく頂けるよう工夫する。設計するものの最低の心掛けであると思う。

ラジエーター直前の突起物と整流ガイド
エンジンエアインテーク

また三式戦 飛燕では機体と翼の接合部がボックス状で、バランスを取った後、フレットで取付部外面を整える形であった。後年終戦前にエンジン無しの機体に星型空冷エンジン ハ112-IIを急遽搭載した五式戦闘機を生産可能と出来た下地でもあった。

主翼は片側6本のボルトで胴体に取り付けられて、Fw190やP-51などと類似した取り付け方法である。またこの部分は平らに整形されていたので重心が変わっても、主翼位置の前後修正による重心位置調整が容易であった。エンジン重量などが変っても簡単に対応出来た。五式戦誕生にそのメリットが見られる。

五式戦 空冷エンジンとなりラジエーターなし。エンジンカウル後部は Fw190 参考と思える

翼・機体ともに比較的厚い板で作られていたモノコック構造(応力外皮構造)であったのでフラッターなど空力的振動などに強く頑丈であった。また翼のアスペクト比が大きく高空での性能劣化が抑えられ、戦争終了直後まで活躍した機体であった。

同様にムスタングもレシプロプロペラ戦闘機として最後の機体と言ってよいと思う。朝鮮戦争でジェットエンジンのF86セイバーなどの登場までジェットエンジンのMIG15と戦うなどした。「冗談はよしこさん」と言いたくなってしまう。傑作機と言って間違いない。