明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。 さて・・・一年の計は元旦にありと昔から申しますので・・・

おじさん 努力しても 全ての人間が報われることはないと思い生きている。これまでがそうであったし、そう変わるものではないと思っている。

試験などは個人の努力と資質に拠り ほぼ決定すると思うが、この世の多くのことは チャレンジ出来るポジションに着くことさえ、単純には着けない。チャレンジ出来たとしてもチャレンジに成功するか否かは個人の努力だけはなく、大勢は周囲の環境(特に人・物・金他)に影響される。

年始 皆様も 来し方行く末考えて、一年の計を立てられてはと思う。出来るだけ具体的にイメージしてスタートしたいと思う。

狭き門

「狭き門」は、新約聖書のマタイ福音書第7章第13節にある。イエス・キリストの言葉に由来する。一般的には「困難であっても多数派に迎合せず、救いにいたる生き方の喩えである」とされる。大学受験で「狭き門」と称することもあり、またアンドレ・ジッドのように自己犠牲に対する批判とするのは悲しいと思う。 

マタイ傳福音書7章13節

狹き門より入れ、滅にいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者おほし。

おじさんは この一節を以下のように独自解釈している。「天国の門も本来は広く誰でも入れる。だが生き方を間違えれば入ることが出来ない。従ってその門あるいは道は狭いと誰もが思う。多くのものは気付かず 神との約束を守る生き方が出来ず、道を外れて滅びの門に至る」

おじさんは 子供に対して 自分が決めたことあるいはやり方がが正しい道(ルート)であるか常に確認しないといけないと言って来た。テーマあるいはルートを決め努力してみる 結果が出なければ 潔くルートなどを再設定して やり直すことである。立ち止まって考えず わき目も振らず 一心不乱に 無駄な努力をすればするほど体力を奪われ、気力が萎え脱落する。

サラリーマンは勤務して時間いれば給料になる。おじさんのような請負に近い仕事では、成果が無ければお金にならない。如何に効率よく仕事をこなしていくかが常に問われる。効率的なテンプレートと機材を持ち、タスク管理出来るかが勝負である。また組織的作業と決めれば 分担を考え効率化しないといけない。ただ一生懸命遣ってますでは 通じない。

方法は沢山あり、自分に向いたやり方(ルート)を見つければ良いと思う。見つけるのに 多少時間が掛ってもよい。学生では時間は期間限定であるが、社会人は期間限定ではない。社会人となれば 考え方を変えることも出来ると同時に必要なことである。立場によって 制約あるいは変更が必要であるのも当然である。

では おじさんも一杯飲みながら 来し方行く末考えて、一年の計を立てたいと思う。不届きな行動であるが、現役引退しているので許されたい。

投稿者

おじさん

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