生き方にナビがあれば良いことだろうと思う。行く道筋に誤りなく、大体間違えない結果を得ることが出来る。ところが おじさんはこれを最上と思っていない。全てに好きなように生きていくことは難しい だが・・・・と言うのが心を過ぎる。

ナビが世に出る前、あっちだろう・こっちだろうで ドライブで道に迷う楽しさをたっぷり味わった。それ故「こんなところにこんなものが」という体験を多くしてきた。知る楽しみが時間の無駄を凌駕する感覚である。また道に迷うことで 町ごとにルール的なものを感じた。人間の自然との付き合いにあるアルゴリズムを 考える切っ掛けとなった。

そう言えば 「みんな悩んで 大きくなった」と思いを新たにする。

道に迷う

実際に「道に迷う楽しさ」を思うとワクワクする。多少迷っても 日本なら滅多なことで命は無くならない。細い山道で500mほどバックする程度のリスクである。無理をしなければ何とかなる。

最近 老後の資金を考え「蓄財」「金持ち体質」的記事を多く見かける。50代なら分かるけど 若いうちからと思う。今でも おじさんはやはり好きなことを少しでも遣りながら生きていきたい。収まりを考え過ぎては 楽しさが無くなる。

江戸っ子がそばを手繰り(たぐり) 猪口のつゆ に全て漬けることなくすする これを粋な生き方とやっていても たまにはたっぷりとつゆに漬けて食べてみたいと思うのと同様である。粋・無粋の判断を付けないで 人目を気にせず遣りたいことをしながら 人の迷惑にもならず生きていくなら、それでよいと思う。分かちゃいるけど止められない。

遣らず嫌い

遣らなければ 挑戦しなければ 失敗はない。才能の有無は知らず、下手の横好きで上等。遣らず嫌いは最低と思う。

ケーブルTVで客の前でカラオケで歌う番組を見ていた時、近所のおばさんの情景・・・下手で結構と思った。お互いが高めあいながら 盛り上げればよし、音程がどうの リズムがどうのと云うものではない。好きこそ物の上手なれ、思い立てば 始めるにふさわしい。

されど 始めれば、趣味でなければ 鏡を見ることを忘れてはいけない。わが身を計り ものになるかならないか 冷徹に判断するのを忘れてはいけない。誰もプロレベルになれる訳ではない。プロと究極のアマ 微妙な差異しかないと思うが、好きで続けるのが第一歩と思う。仕事も同じ。

昨日 会社休業 書類上一切終了。おじさんはそろそろ 人生の第2歩を踏み出す時期かも知れない。

さて! 新年も近い そろそろ・・・準備しますか。

投稿者

おじさん

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