間もなく新年 毎年の五社参りとなる。おじさんは総社神社の氏子なので大みそかに町内の神社を八坂神社他 5か所を歩いて廻った後 六社目に総社神社にお参りする。五社参りと称しながら実際は六社以上である。境内の小さな分社を含めると一〇社以上となる。

小さな町内であるが塩釜神社,八坂神社,広瀬神社,厳島神社,金毘羅神社,出雲神社(大社?),天満宮,恵比寿神社他などまともに数えると大変なことになる。これを紅白が終わり、「緑のタヌキ」を食べてから回り始める。終了時間は三時超えとなる。

うがい手水(ちょうず)に身を清め

苦しい時の神頼み

おじさん「苦しい時の神頼み」は子供の頃からしたことは無い。物心ついてから祈願する願文に必ず「心願成就」を入れているので、これ以上のお願いは出来ないと思ってきた。勿論 最近は「家内安全」「商売繫盛」を前に置いているので、通常の「願文セット」に更なる詳細追加は 欲張り過ぎと思い遠慮している。残りは「交通安全」「厄除け」などもあるかと思うが、そこまで行くと・・・厚かましいと思っている。

これで何とか65年程過ぎたし、総社神社にお参りすれば住んでる「国」(県)のすべての神様にお参りしたことになるのでこれで良いと考えている。

偶に近所の受験生を見つけ・・・品のない

なお 総社神社を解説すると 平安時代 国司が赴任した際 国のすべての神様に祈るために作られた神社である。従って時代と伴に消えた神社もあるが、平安時代 国とされた区域内に一つはある。

祈り

神社とは時代あるいは地域での信仰であり、自然の前に立った弱い人間としてお願いするだけであったことに根差していると思っている。神社は歴史から「延喜式」に書かれた「式内社」と他に大別されるが、おじさんは歴史で「格」を決めるのはいささか違う気がする。その時代、時代で人々が求めたことと思えば、差は無く 同質である。

おじさん 子供に「願いは聞いた」そして「叶えるとは約束しない」と言ったことがある。サンタさんも同様である。神様への宣言と感謝を伝えるのが祈りの本質であり、そこに人間の努力と工夫が無ければ何も変わらないことを伝えるためであった。

いくら祈っても 最後は自分が、動かなければ・変わらなくてはどうにもならない。

投稿者

おじさん

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