70歳を超えて花粉症を発症した様で・・毎朝 起きてTVを見いていると 目の前にティシュが溜まっていく。無意識にタラーと垂れて来るようなので、最近鼻の下に手を伸ばし確認する。かんでも かんでも次々と 無意識に出て来るのでその不快感が堪らない。そんな状態なので 久々にティシュの先を尖らして鼻の奥まで拭き取ろうとしたところ、先端にかすかに血液が滲んだ跡が付いた。超――久々の鼻血が出るのかと・・半ば期待したが・・年寄りは血の気が少ないのか?その後の鼻血は見ない。鼻粘膜に少し傷が出来ただけのようである。
思い返せば ここ10年いやそれ以上 鼻血が出ていないことに気付いた。子供の頃 若い頃はしばしば出た思い出もあるが‥中年過ぎてからは稀である。そして現在 血液サラサラの薬を飲んでいるので、多少なりとも変わるのかと思ったがそうでもない。時計が血圧は示さないが心拍数をカウント表示しているのだが、こうやって文書を書いてるときは68と安定している。買い物などでうろうろすると90台まで上がるが・・直ぐに落ち着く。基本的にドキドキすることが減った生活をしているからだろうか?定期的に図る血圧は90から125程度に収まっている。そんな状況なので余程のことが無い限り、鼻血との縁は無いようである。
この歳になると金もない時に「鼻血も出ない」と言葉に付ける。またそれで通じるのがおじさん世代である。そんなアホな考えばかりしながら・・どっちにしろ年金生活は厳しいので、暗くなるより 明るく元気に老後生活を送って行こうと思っている。そんな前向きなことに考えを向けるようしているのだが、今の現実 おじさん鼻血より鼻水が止まらない。場合によっては 花粉に咳き込みそうになるほどである。桜満開に伴う気温上昇から スギ花粉の飛散も酷いようで・・今夜から雨と聞いて・・雨・雨 降れ・降れと心より願っている。
哲学的に言えば 「人間は形而上の高邁なる想いはあっても 形而下のことに振り回される」のである。如何に立派なことを言っていても、その場でオシッコが出そうになれば トイレに駆け込まなくてはおれない。かくも悲しい実存的悲哀を持つのが人間である。そんな当たり前なことが分かっていれば・・大口なんぞは叩けない。当たり前のことが分かるからこそ謙虚に生きていけるのである。
桜が咲く頃 「花に嵐」と言う言葉を最初に「三日見ぬ間の桜かな」と続くことが多い。「花冷え」と言う言葉も 夜桜見物に水を差すような言葉も多い。人間自然の中で生きているので 万事順風満帆なことは少ない。日々 小市民は ちまちま生きて・・過ぎる季節のひと時を楽しみたい。おじさん 車のエアコンで温度設定されたオートエアコンよりも、従来通りのエアコンを ああだ・こうだと弄りながら運転するのが好きである。そんな当たり前と思える「ひと手間」を 楽しむのも一つの生き方と思っている。
貧乏なおじさんに 幸あれ!