最近田舎では バスなどの本数も少なくなり、しばしばグループになって バス道を歩いている方を見かける。道としては都会と違い入り組むことなく・・過半が家々・田んぼの遥か彼方まで見通し出来る環境である。そんな中で スマホを眼前に置きながら歩いている方が 多いのに気付く。余程の方向音痴でなければ道に迷うこともあるまいにと思うのだが・・・スマホの案内をアテにして歩いているようである。ポケットに入れても音声案内も出来るだろうに・・野暮なこと!と思ってしまう。おじさんそんな風景を見てたら 道に迷う楽しさを味わうことなく効率的に生きてどうなの?と疑問が湧く。道の規則性・普遍性などを 見つけて楽しまなくてどうするか? どんな所でも 何もないところでも 生きるすべを感覚的に手にする大事さを感じないのか?と思ったりする。

 田圃とか小川は高低差がキッチリあり、昔から農地の中を流れる川などは曲がり・・高低差に素直に付き従って形が出来上がっている。一度人工的に碁盤目のような土地に区画されても 時代と共に変化していく。京都の右京と左京のような関係である。左京は加茂川の流れに沿うように維持されたが右京は川の氾濫などで流路が変わり、区画形状は崩れていった。御所は最初には真ん中であったが、次第に左京にずれて現在に至る。

 ここで 左右の区別は御所から見た関係で区別する。3月まで雛人形を飾られた家も多いだろうが、普通部屋では内裏雛の向きは気にしない・・しかし 基本は「天子は南面す」が基本である。この「天子は南面す」という言葉は中国古来らの考え方を示したもので、君主は北を背に、南に向かって君臨し、政務を司るというきまりがありました。長安をはじめとする古代中国の王城都市は、都の北部中央に王が鎮座する宮城があり、南に向かって区画が広がる構造になっていました。平城京・平安京もその考えの延長で計画されました。

 お内裏様にお雛様~♩ となるが、基本はお内裏様から見て左がお雛様である。ライバルを言う際「右に出るものなし」の慣用句と同じである。つまり ひな壇に向かっては 左がお内裏様 右がお雛様である。また 大臣などにも 右大臣と左大臣とありますが・・これは左が上となります。雛人形でも左右の武官がいますが、雛壇に向かって右 つまりお内裏様の段から見て左が偉い人になります。従ってこちらが髭を蓄えた爺さんが上位となります。更に言えば 神社の狛犬も社殿に向かって 右が口を開けた「あ」左が口を閉じた「うん」も同じような延長線です。

 話が ドンドン逸れて来たので元に戻して・・・ 普段からデジタルデトックスやってないと 判断を自分でしない癖がついて。何もできなくなります。最近はアメリカの雇用では、高学歴でも未経験が弾かれているようで、即戦力とならなければ AIにとって変えることが出来るとの判断のようです。つまり経験を如何に積むかと言うことがAI時代には求められるようです。デジタルに頼り切って 過剰適応して脳過労をすることなく判断力、意欲、集中力を高めて、本当の生きる力を養う事かも知れません。

 今日は スマホを超えた

   タブレット持ちに出会った!

投稿者

おじさん

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