漢字で書けば 犬と捉えられる感じであるが、犬ではない。狛犬の発祥は古く、中央アジア・中国を通過する際 変質した結果生れた。最初は獅子つまりライオンである。

おじさんの知っている話では 徒然草 第二百三十六段に逸話が記載されている。この時代には阿吽に分かれた唐獅子ではなく、獅子と狛犬に分かれていたようである。

何事にも追求した結果、「アへ!」とすることもあるとの話であり、おじさんのお気に入りである。何事も一人で盛り上がってはいけない戒めとも思っている。

形・姿など多くのバリエーションがあり、材質も木から石・陶器までと多彩である。

もう少し話すと、現在の狛犬の多くは江戸時代に作られた形である。本殿・拝殿への参道に阿吽の狛犬がセットされる。通常右がアであり左がウンである。古くは前脚と首の向きが一致していたが江戸時代から小首を振るようになった。これなどは「かわいい」の「事はじめ」として良いような気がする。

徒然草

原文からだと面倒なので現代語訳で始めます。原文は段さえ分かれば検索できますので省略させていただきます。

京都の亀岡にも出雲がある。出雲大社の分霊を祀った立派な神社だ。志田の何とかという人の領土で、秋になると、「出雲にお参り下さい。そばがきをご馳走します」と言って、聖海上人の他、大勢を連れ出して、めいめい拝み、その信仰心は立派なものだった。

訪ねたところ神前にある魔除けの獅子と狛犬が後ろを向いて背中合わせに立っていたので、聖海上人は非常に感動した。「何と素晴らしいお姿か。この獅子の立ち方は尋常ではない。何か深い由縁があるのでしょう」とボロボロ泣き出した。「皆さん、この恍惚たるお姿を見て鳥肌が立ちませんか。何も感じないのは非道いです」と言うので、一同も不審に思い、「本当に不思議な獅子狛犬だ」とか、「都に帰って土産話にしよう」などと言い出した。上人は、この獅子狛犬について詳しく知りたくなった。そこで、年配のいかにも詳しく知っていそうな神主を呼んで、「この神社の獅子の立ち方は、私などには計り知れない由縁があるとお見受けしました。是非教えて下さい」と質問した。神主は、「あの獅子狛犬ですか。近所の悪ガキが悪戯したのですよ。困ったガキどもだ」と言いながら、もとの向きに戻して立ち去った。その結果 聖海上人の涙は消えてしまった。

亀岡 出雲大神宮 昔とは異なるようです!注目は顔と前足

徒然草の世界|日本一の縁結び 京都の神社 出雲大神宮 (縁結び) 丹波国一宮 (izumo-d.org)

狛犬のポーズ

江戸時代 立ち方と顔向きが、今に伝わる多くの形に変化する。おじさんの近所の神社のものであるがこれが定型となる。社殿に向かい右が唖(ア) 左が云(ウン)となる。

天保5年 右の唖(ア)
5月吉祥日 左の云(ウン)

伏見稲荷などのキツネさんも傾向は同じである。伏見稲荷ではポージングが色々あり、狛犬同様ではあるが、建立時期により異なっている。

有名なのは 豊臣秀吉建立の楼門前の右側の宝珠を咥えたもの、左のカギを咥えたものである。何れも両前脚を参道に平行に揃え、子首を参拝者に向けかしげている。

投稿者

おじさん

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