昨日 向いのおばさんが手押しカートを押しながら買い物に行く途中、転んで起き上がれなくなった。おじさんのところから30m程離れた所で発生し、Yさんの自宅前で起きたのをYさんの奥さんが気付いて、両隣に助けを求め 共同して助けている最中であった。おじさんは出かけようと車をバックした際に気付いた。おじさんが駆けつける前に 向いのおばさんは抱き上げられ立ち上がり 手押しカートを押せる態勢となっていた。

 大丈夫なんだと おじさん返ろうとしたとき Yさんのご主人と目が合い、目礼し家に戻った。向いのおばさんがコケて立ち上がれなかった状況は 赤ちゃん同様に「つかまり立ち」出来ない状況と同じと思えた。高齢となり筋力が落ちた上に体重増加で赤ちゃんと同じ状況となったと理解できた。正直考えている数日前に 孫のビデオを見てたので・・同じ状況と推理していた。推理した状況をYさんの奥さんに確認すると・・間違いないようである。

 こけたが最後立ち上がれないようで・・手押しカートで立ち上がる方法をつまり「つかまり立ち」の訓練が必要と分かった。手押しカートのストッパーはハンドル上部にあるので、こけた態勢など場合によっては操作も出来ない。どうやれば手押しカートを利用してつかまり立ちするかを 介護を受け出したら 考えて訓練して置かないといけない。おじさんも手押しカートを押すようになれば・・・自ら考え、訓練するぞ!とは決めた。しかし 赤ちゃんは発展途上 年寄りは下降途中 無駄になる可能性も高い。

 なお 本日もおばさんは自宅玄関わきで 日向ぼっこ中である。後遺症などは無く、体は大丈夫なようである。目が合ったので手を上げると 手を上げ返して来た。まだまだ先は長いとお見受けした。

先達

 小学校時代の恩師が近所に住んでいるので、ご自宅前を通る際 しばしば庭の雑草取りをされているのを見かける。その際は杖と言うかストックを両手に持ておられる。ストックにもループが付いて手くびから離れないようになっている。今回の向いのおばさんの転倒姿を見た為か、恩師は次に起きるだろうと思われる行動を想定して生活していたようである。次を考えるという大事なことを体現されていたのに気が付いた。

 先生の散歩中を思い出すと 病院などで使う歩行訓練機のような形をしていたものから普通の手押しカート、そしてセニアカーまで使用していたことを思い出す。その日その日で 使い分けていることにも思い至った。御年95歳 まだまだ衰えを知らないというか?自身を分かっておられる。

 おじさんも将来 足腰が弱るまで生きられるか否かは分からないが、それなりに準備というか?次を考えることが大事と思えて来た。明日には明日の風が吹くというが、徒然草にあるとおり

何事にも先達はあらまほしきことなり

先生に 面とは言いませんが 見せて頂き感謝しております。

投稿者

おじさん

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