蕎麦屋で仕事を見ていると面白い。菊練りと言うのだろうか?まとめて空気を抜いた塊をのし棒で伸ばしていく。畳んで駒板を使いながら包丁で切っていく。切り終わった後 打ち粉を振って置く。客が来たなら蕎麦を茹でて、それを打ち上げ洗い冷水で締める。その冷たくしたそばを再度冷水で締め、手振りに入れて再度温め どんぶりに入れ熱い出汁を掛ける。
うどんも同じであるが、温める直前の再度の冷水締めがうどんとは異なる。若い頃 神田界隈の蕎麦屋に通ったりしていたので、なぜと聞いたら コシをしっかり出すためだそうで・・冷水で締めるか、常温水で締めるかで食感コシがかなり変わって来るとのことであった。試しに食べさせて頂いたことがある。 コシをしっかり出すなら冷水。モッチリなら常温水と締め方はでいささか違いが出る。
食いしん坊と言うかグルメであるためには 大食できないと味わうことは出来ない。蕎麦のコシを食べ比べる余裕 つまり2杯以上食べることが出来無ければ、立ち寄れない領域がある。分けて回数で確かめるには・・人間の記憶はあやふやであり、同じ環境を作るのは難しい。
神田のまつやか藪か・・普段は最も近い「富士そば」であったが、たまには古い店で食べたりした。出張先が新潟だと「ヘギ蕎麦」、仙台方面だと 岩手の「わんこ」ではなく、そば粉100%のバキバキした食感の 宮城岩手の県境の田舎蕎麦屋に行き、釧路だと海苔を巻いた蕎麦寿司など各地に美味しいそばがあった。もちろん 信州戸隠・出雲も良いが家族旅行で行った時なので、味わいそびれた。・・そして季節により 緑が残る新そばも なかなか香りが立ってよい。
しかし 生来の讃岐っ子なんで 今はうどん一択の世界で生きてます。
昔見た光景
若い頃 出張から帰って会社に帰るのも・・・アホらしいと思い、事務所に帰るのをサボって街を歩くなどしながら時間をずらした。小腹が空いて蕎麦屋に入ると、そこには爺たちが天せいろでやっている。天ぷらをつまみながら一杯である。すし屋でも同じ ネタを外してネタのみを食べながら一杯の爺さんたちも良く見た。お行儀の悪い爺さんたちであったが・・昔からそうなのか・・店もどうこうと言わない。みんなサラリーマンのいない時間を楽しんでいた。そんな景色を見て来たので、ご隠居かくあるべきと思ってしまう おじさんの志向を形成したように思っている。
そんなせいか 時間のない昼休み しばしばお世話になった富士そばで、(ヘタすれば 時間が無くて 朝・昼・晩 日に3度も通ったこともある)下町育ちのおばさんから良く可愛がっていただいた。もう一品天ぷら・ワカメを黙って乗せてくれ・・切ったばかりのザク(ネギ)などを目の前に置いていただくなどしていた。
そんなおばさんと馬鹿話しながら・・・東京で育ったものには基本田舎者つまり他者に配慮・心配りするひとが多かった。雪が降れば 家の前に残る雪を プラスチック塵取り一つで 片隅に集めるなど人が怪我せぬようにやっていた。やらないのは田舎から出て来た新参者か、親の教育が行き届かない輩(やから)であった。