先には 承認と自尊の欲求である「見栄と世間体」について書いたが、「習慣・風習」についての見直しが最初の一歩であると思います。しかしそれが常に成り立たせるには、無理が出てくる。お金がないのだけど、見栄を張っていることも多い。自分の生活の首も絞めるし、相手に気を使わせるだけです。年寄りの承認欲求の表れとも思います。

ところが・・相互に気を使わない人間に子供・孫がいる。おじさんの孫の一人は小学校入学の際には、ランドセルを買わされた。ところが自転車は以前買わされたが、先週新しい自転車に乗った写真を見たので、新しく自転車は子供が自主購入したらしい。子供もアホではないと思い、幾らかは安心している。

お金がないのに見栄を張って高いランドセル・自転車を孫に買うジジ・ババもいますが、何か必要になったら ジジ・ババに言えば・・・となるのは怖ろしい。まあ悪い習慣をつけるだけと思っている。

まあ 子供・孫のことを思えば、孫を我儘に育てたいと思う親としての子供はいない。孫・子の将来を思えば、頼られるジジ・ババになるべきではないと思っています。子供としても知らない間に孫がお小遣いをもっているのは、教育上悪いことと思っているよう願っている。

見栄を張らない

素直に生きていくことが、子供と孫に見せるべきことと思っている。おじさんが大金持ちならこんなことは考えないが、幸いなことに貧乏である。そうかといって生活保護に毛が生えた程度の年金は受け取っているので、子供にしがみついて生きていかなくても何とかなる。

従って見栄を張ることなく暮らしながら、アルバイト生活している。孫に金を渡して、孫が欲望のコントロールをしくじる様になれば、おじさん年老いて詫びるすべはない。そんなことにも気付かずに、孫に喜んでもらいたくて、ものを買い与えるなどする。しかもそれは自身の老後資金を減らしている。気付かぬジジ・ババを全面否定しないが・・お馬鹿と思っている。

ついでに ばあ様は会社の役員をやってもらっていたので、役員報酬を支払っていた。国民年金を受給しながら給料もあり、生活の心配がないので 余裕はあったと思っている。そんなことで、今も子供と孫(ばあ様から言えば孫とひ孫)には小遣いをよく渡す。そこでおじさんは子供あるいは孫への小遣いなどはセーブしている。ばあ様の金の出どころは・・子供も当然理解はしてるだろうと思っている。

見栄を張るのがカッコイイわけじゃなく、見栄を張らずに、自分の弱い姿を正直にさらすのが、人間としてカッコイイと思っています。おじさんの性格ですかね?

もしそれで子どもや孫が離れていくようであればそれで良い。お金目当てに寄ってくる子どもや孫そして人は要らないと思う。

投稿者

おじさん

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