ばあ様が昨日畑に有ったハランを持ってきて、花器に飾っていた。趣味のことなので特段のことも言わず何も言わないというか・・格好になっている・・と評した。根元を輪ゴムで止め 葉の元はセロテープで止められている。これで2m離れれば 様になっている。今日になったらセロテープの仮止めは外され、完全に様になった風景となっていた。

念のため解説しておくが、ハランは料理の区分けなどに使うバランを作る元植物である。おじさんが子供の頃は 現在のようなプラスチックシートではなくハランが使われていた。

元に戻して、正式に生けるならともかく「様」になる花の生け方を知っておくと言うか?味わい方を覚え・理解しておくことの大切さを思う。もちろん ばあ様は生け花の師範などの資格は持っていない。

選んだ葉に穴があったが 日本的なのか?使っていた。ばあ様に欠けたることを愛でる・許す意識があったかどうかまでは聴いていない。

おじさんの姉は生け花を習い、未生流で15年近く習っていた。昔のことなので おじさんの父も嫁入り道具と思ったのか、お金を突っ込んでいたので・・「未生なんとか」というか名前を書いた看板まで所持している。

その為 おじさん子供の頃から未生流の雑誌・書籍類が家に多くあったので・・ペラペラはめくっていた。おじさん自身も「習わぬ経を読む」状態を持っていたことになる。

意識してまでとは思うが「暇なとき」には時間の潰し方を考えないとレベルアップすることは難しい。ばあ様の生け花を見て、普段から美を見つけ、楽しむことの大事さを思う。

美の壺

おじさん しばしばNHKのテレビ番組の「美の壺」を録画して見ることがある。録画していても時間が過ぎ、タイトルを見て まあいいかと消してしまうことも多い。それでもいくらか見ていれば、見る勘所のようなものを掴めるようで面白い。

こうゆう番組の良いところはその道のプロ・愛好家が見せてくれるところである。例えば陶芸であれば、陶芸家自身が焼き物で目指す方向を説明してくれる。

以前 国宝である徳川家伝来の窯変天目茶碗にある窯変に魅了され再現しようと研究を重ねている陶芸家が研究の一端をダイジェストの形で発表されていた。やはり美の底にある人を引き込む魔力のようなものを感じることが出来る。

この辺り「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」とする兼好法師の『徒然草』第52段「仁和寺にある法師」に通じることである。分かったつもりにならず、常に謙虚に歳を重ねたいと思う。

最後に伝えたいことであるが、「美の壺」で提示された以外に何か一つを付け加えたいといつも思っている。この気持ちがないと自分の世界を作れないように思う。拙くてもいい自分の考えが大事と 生きることにしている。