最近40歳定年と70歳定年が話題になることが多い。だがその意味が異なるので考えておきたい。間もなく正月 「一年の計は元旦にあり」と言う事で書いておきたい。

おじさんが老後を考え出したのが40歳を超えた頃である。以前書いたが父が亡くなった後も、近所でもある父の友人が暇つぶしに、ばあ様が留守番する一階事務所に遊びに来てたからである。おじさんは その頃二階で設計業を始め、仕事に煮詰まった時に事務所に顔を出し話すなどしていた。父のしていた不動産業の再開準備も兼ねての ご近所情報収集目的もいくらかあった。

そんななかで 老いには病気・家族などの要素もあるが、お金は更に重要な要素と感じた。お金も死ぬ直前まで必要なことが明確に分かった。それ故 死ぬ間際まで仕事をしてお金を得て行くのか、会社を継続して配当的に所得を得るか、あるいはいくらか貯めて株など金融資産運用に廻すのかと考えた。国民年金だけでは足りないことが明らかであった。

しかし会社を現状のまま継続にするには 子供の力を借りるしかなく、子供の将来にタガを嵌める。より大きくして親族会社を脱却するには、業容拡大・客先拡大あるいは人材派遣などに進むしかないと判断できた。また 人材派遣できる相手である取引先の造船会社等の企業ライフサイクルは後30年程と見込めた。取引会社からの受注が減った場合などの対策として他業種受注先を開拓をしていかないといけない。またそんな時代の変革期はリストラなどの厳しいことをしないといけないと想定出来た。なお予定よりコロナで3年程前倒しになったが、結論としては想定していた時期に近かった。

義兄と相談していてどちらも「歳とって人を泣かすことはしたくない」との基本方針が決まり、現状を大きく変えないでいけるところまで営業し、辞めれる体勢を作ることとした。年金も厚生年金としてそれなりの額が貰えるようにすることにした。

なお 事務所と設計用資産(備品什器・パソコン・プロッター)などは、子供を含め 途中で独立起業したい方がいれば、会社ごと譲ればよいとしていた。

結果は会社休業までに設計業での引取者は現れず、事務所と設計用資産は全て残っている。他業でも思うような方は現れなかった。

40歳定年

40歳定年はマネージメント能力を取得出来ているか否かの限界である。サラリーマンとしてはグループをまとめ、動かす年齢である。このマネージメントあるいは人をまとめる要素が無ければ、力を発揮することが出来ないと見なされる。

あるいは工場など運営の上 必要とする資格が無ければ登用することも出来ない。経営者としては人事の要である。組織人として使えるか否かにより、本人が不利益を受けることに集約される。従って会社もしくは上司が決定することに将来を決められる。

逆に言えば、マネージメント能力があり独立心があるなら独立も容易である。しかし独立開業したい業界の研究と業界人との面識などが無ければ、最初からつまずく。相談できる知人・友人も・・・となる。

また簿記など 経営者であるには会社に関する数字が読めなければ、運不運に身を任せるのと同じである。起業仕立ての頃はそれなりの時間もあるので、営業に回るか経理関係の勉強するなど出来る。

私事ではあるが、子供に考えておいてもらいたいことは、人生山あり谷あり どんな仕事も辞めたい瞬間はある。でもそこで踏み止まれるか否かは 夢・家族など心に期することがあるか否かである。そして踏み止まってからどう生きるかが 人間の価値を決める。タラレバで生きていくには、今は難しい時代である。

70歳定年

70歳定年は健康寿命の限界と考えれば良いと思ってる。人間 働いて収入を得るためには 健康で体が動き、ボケ等職場で下す判断に誤りがないことを求められる。サラリーマンであればお分かりになると思うが、老若を問わず協調して同じ目標に組織的に向かうのが会社である。それについて行け無くなれば辞めるしかない。自ら気付くことが大事であるが、同僚などから「物言い」があれば仕方ない。原則は自己決定である。

健康寿命が問題になると同時に要求に合わせ変われなくなれば無理である。心の芯は昔気質で良いが、肉体の衰えを遅くする努力あるいは、判断力と知識などは常にアップデートしなければ無理である。

おじさんが20歳代の時 友人の父親が約60歳前後に亡くなるなどした。多くがJRなどに勤めていた方、あるいは不規則・3交代勤務をされていたかと記憶している。当時の退職年齢は60歳であった。それ故 健康寿命が延びた現代では70歳定年も納得できる。

でも実際は 65歳過ぎれば おじさんの如くバイト程度しか稼げない。社会参加と思い仕事するのが一番と思っている。トップを目指しどうこう言うのは無理がある年齢である。

まずは人生を楽しむのが一番です。

そして皆さまが良い新年をお迎えることを 祈念いたします。