昨日のニュースで中央道の渋滞他を聞いて、「これじゃ 収まるものも収まらない!」としか思えなかった。そして 昨夜コロナに対する対話をメインとするNHK特番があった。しばらく見て「これじゃ」としか思えず、スグにチャンネルを変えた。

おじさん皆さんの中に「当事者としての・・・」責任感などが一切無いように思われ、「お上」のやることと言う意識が強すぎると思った。世代的におじさんはケネディのニューフロンティアなどの時代を中坊になって嫌と言うほど教科書で教えられて来た。そのため 自らが時代を担う人間の一人という感性で生きて来たように思う。

従って身の回りに起こることのすべては 全て人任せで成立していたとは思っていない。社会に協力すべき一員として 社会に参加していると思ってきた。力はなくとも そう思い生きている。

現在の民意の流れ 参加意識の違いの問題なのかと思えば納得も行く。

政治

なかなか日本の政治も変われないのか?これでは世界の変化にとてもついていけないような気がする。自民党総裁選挙が始まり、新首相が決定する。日本の責任内閣制という政治システムのため、自民党員・党友の選択を待つしかない。

まあ 古いシステムなので問題にしたいが、野党も野党なので 問題ない・大差ないと断言できるのが痛い。「辞任しろ」って言っておきながら、いざ辞任したら「放り出した」て批判するのだから・・・どないせっちゅうんや! でまとめて終わり。

議題に載せるのも小さいLGBTなどの小ネタばかり・・・突っ込んで生々しい性的実態に至れば・・・おじさん想像するだけで恥ずかしい。先日YOUTUBEで「青木花音」の動画を見ながら感じてしまった。人間は生きているので、生生しくて当然である。なおおじさんが彼女(?)を知ったのは、メジャーなTVチャンネルである。

判らない

先日の大雨・コロナの後遺症・・・・いろいろ不安に思うことが続くと「何時まで」と思ってしまう。昔からの一言「開けない夜はない」と思いながら 過ごしているのが普通である。

英語では「How long will it last」と言うらしい。心揺れる時をいかに過ごすか?とのニュアンスに収まると思える。しかし この時間と数などが人間力を育てると思う。角度を変えて見つめるなど自分が体験して、対策の引き出しを増やすしかない。

書いているうちに 明治の日本海海戦の言葉に思い至った。「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」(秋山真之) 何時の世も 最後は個人の力であり、個人の力が試される時代である。おじさんは法律でロックダウンを決めるようなことは嫌いなので・・・多くの方が気付けば!と思っている。

投稿者

おじさん

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