先日 自治会の行事準備の為 10人程で集まった。その際コロナワクチン接種はしないというものが1名いた。息子が反対すると言うのが理由として述べられていた。おじさんは接種しないことは個人の自由であり尊重する。

誤解のないように重ねて述べておくが、おじさんは新型コロナウイルスワクチンが有効でないとか、危険であるとか、あるいは 予防接種を受けるべきなどと主張しているわけではない。

現在 ワクチンに効果ありと報道され、諸外国の状況を見ていると効果ありが事実と思う。だが 個人の自由を尊重することは両刃の剣と同じであることを理解しないといけない。接種しない自由もあれば、他者への感染を防ぐ義務も存在し 履行しなければならない。

アレルギーなど理由もあるかと思うが、接種しない場合は他者への配慮 またそれなりの不利益を得ても仕方がないと覚悟されていれば良いと思う。

日弁連の提言

日本弁護士連合会 今年2月に発表した「新型コロナウイルスワクチン接種に関する提言書」の中で、国に対し「ワクチン接種はあくまで個人の選択により行われるべきものであることの理解を広げるとともに、本件ワクチン接種に関する偏見差別防止やプライバシー保護を行うための、有効な施策を講じること」を求めている。

感染拡大防止、収束のためには予防接種が有効であり、政府の施策として、ワクチンを必要量確保し、速やかに多くの人々に接種の機会を与えることが急務なのも理解している。ワクチンの予防接種を受けるかどうかは、ワクチンに関する正確な情報を与えられたうえで自分自身の判断で決めるべきである。ワクチン接種を受けないことを理由に差別したり、不利益な取り扱いをしたりするのは許されない。

今回のワクチンも 原則的に製薬会社・国は何らかの事故が起きても責任を取ってくれない。だからこそ個人の判断を認めている。接種しないのも個人の自由である。

しかしワクチン接種は自分自身の判断で決めた以上は 感染と重症化などに対するする責任あるいは他者からの要求には 支障がない限り応じないといけないと思う。

例えば 介護施設・学校における「部屋分け」あるいは「利用時間の制限」などが考えられる。ワクチン接種グループと非接種グループなどに分け、施設管理上の問題を解決する場合などである。このような場合に差別や不利益な扱いを受けたとは言い難い。

逆にワクチン接種を受けないで、職員・社員などがコロナ感染が高い業務から危険の低い業務に意図的に移動しようとするケースも考えられる。そのような場合に対しも原則的に職員・社員の平等性を確保することを忘れてはならない。人員の少ない職場、風評を気にする場合では 下手な対応しがちなケースが出て来ると思う。

不利益を享受

視点を変えて考えることが重要であると思う。親が望まないなら子供は接種は出来ない。このことまで考えて接種反対をするなら子供の意見も尊重しないといけない。

おじさんの住んでる区域に「エホバ○○」の信者さんが子供を連れて廻ることがある。おじさん大人であれば信念あるいは信仰によりその行動は理解する。だが小学生ほどの子供たちについて懸念を持つ。自らの自由意思か否か、信仰の自由などを守られているのか疑問に思う。

最近のLGBTについても同様である。養子に迎えられた子供・・・非常にハードな一面を最初から押し付けられると想像する。

多少人生を生きて来て思うのは 言いたい奴は何処でもいて 声を上げる。だがその陰で物言えぬ人々がいることを理解しない者は最低である。

お互いの不利益の享受を 合理的に分担できなければ、責任を問うことも難しいと思う。他者への無責任な寄り掛かりが根底にあれば、まともな意見とは思わない。

おじさん神社に係る寄付などで会計役を務めて、自治会全体にお願いに行ったことがある。自治会の意見が割れたが、結果7割が寄付に賛同いただいた。大勢が決した後、声高に反対されていた方の家族が聞いてなかったとして寄付の申し出でを頂いた。口で軽く言ったことはすぐ消えるが責任などはどう取るのか 人間としての品格が見えることである。

私見

おじさん65歳を超えたなら、健康寿命75歳まで10年である。周辺の方の手を取らない様に生きて行くのが良いと思うので、罹患し迷惑を掛ける可能性を減らす意味でワクチン接種を受けた。正直この歳で生殖などの活動をする訳もないので問題ないと思っている。短期は問題ないようだが、長期に異常が発生する可能性はゼロとは言い切れない。でも長期の場合 おじさん自身が生きてるか、逝ってるかが怪しい。

原則メッセンジャーRNAは核内遺伝子のコピー物であり、原本である核内遺伝子に置き変わり、組み換えなど発生するのも考え難い。また歳を取ればガンが発生するなどあり、遺伝情報自体が経年変化で傷が付いてる。従って 今さら多少の事は気にしない。

自然な形で抗体を得て行くのが生命体として当然であるが、それだけの体力もなく 時間も長くないと思えば、手段は限られてくる。若い方が信念のままにやればよいと思う。但し周囲の人に迷惑を掛けるなとは思う。

海外渡航で接種証明が議論されているが、国内での移動・飲酒などに適用も考えられる。接種証明が無ければ、県境通過禁止、居酒屋出入り禁止なども極端には可能と思う。接種しない方は 他者に対してより感染予防の義務があると覚悟してマスク着用など努力すれば良いと思う。米国の接種者ノーマスクと同様である。

ワクチンを拒否するかたは同時に その責任の取り方を考え行動されることを望む。

少し正直に言えば面倒くさい方がたとは思う。サイレントマジョリティーとして行動できないのか?多くの方が接種し、集団免疫を得てマスクをしなくなって良くなった際は感謝のデモを実施頂けるのか?人間は相反する中で生きて、お互いが影響し合うことを認識しておきたい。

投稿者

おじさん

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