年金暮らしが始まるとその金額の低さに最初からショックを受けた。少ないお金をどう振り分けていくか、どう使うかと言うことに悩んでしまう。おじさんの住んでいる田舎では標準的な受給額ではあるが、アルバイトを始めた。社会との関係性を保つ主目的もあり、力いっぱい稼ぐ気はなく 週2日と決めている。

お金に仕事をさせる投資的な貯金には 年寄りを抱えるので 急な出費もあると考えれば躊躇する。それでも何とか少額でもと積み立てNISAを始めた。混んでいる状態が嫌なので 年金支給日翌日年金を引き出しに銀行にいくと、行員から積み立てNISA運用実績表を印刷して渡された。始めたばかりで意味のないと思いつつ、金額の増額を提示したいのだろうと解釈して、受け取りありがとうとのみ答えた。

何事もボチボチ始めれば 何とかなっていくと信じているおじさんである。

ケンカで負けても 一発でも当たれば満足

中学生の頃 高校生にやられたことがある。それ以来 敵わぬまでも一発でも当たっていれば、負けた後の「惨めさ(みじめさ)」に納得がいく。相手が強いのであるから、負けて当たり前なのは最初から分かっている。現在は進学校として認知されるおじさんの母校であるが、おじさんが入学したころは 進学実績はそれなりに良かったが、特定の先輩方は武勇伝が付いて回るような学校でした。

その余波を受けて 通学時の出来事なので、自身は何のことだ・・・と思う状態でやられてしまった。それでもその渦中 相手に一発でもお見舞いできたことの満足は今も覚えている。敵わぬまでも 借りは一発でも返して置かないと・・・心の傷になると思う。

今の時代では「?」と思われること 確実と思いながら書いている。失敗しても笑い話、けんかで負けても思い出・・・ と言うような話と思ってください。

なお事件の後日 高校卒業後自衛隊に行った先輩が「遣っといたから」との伝言を頂き、以降被害を受けるようなことは無かった。この方は後日 自衛隊を止め、大学に入学。卒業後 税理士資格を取り、開業した。今は息子さんが引き継いだ形となっている。

嫌なことはしない

完全に嫌なことはしないのではない。嫌なことはしないで済ませる努力をするというのが正しい考えである。あるいは嫌なことをしないために最小限の努力で 同等の成果・結果を上げる努力をするのが正しい。

無論 勉強・仕事など避けられないものは どうしようもない。嫌でも挑戦しないと人生を歩くための元手・手段が手に入らない。この辺りを全否定出来るのは、自力で稼いで生活したことのない子供としか思えない。出来るための努力 あるいは同等になれる手段を工夫出来なければ、ただの引かれ者の小唄しか思えない。方法などを変えても 支障なく生き抜ける方法を考えないといけない。

おじさんも不得意なことを無理してしないように努めることは怠らない。

おじさんは電卓をたたくのが苦手である。指が引っかかったりして 2度押しをしてしまうのでスピードが出ない。スピードを出すと間違うことが多い。そこで計算結果と途中が可視化できる表計算ソフト類に 仕事のフォーマットを入れ込んで計算するよう仕向ける等の努力をした。サラリーマン時代の飲み会の時 部下の女性に電卓が苦手なことが変える原動力と晒したら・・・以降電卓集計計算は頼まれなくなった。但しパソコンでの処理関係は押し付けられた。人間一生懸命弱点を直すより、システム的に或いは互助的に助け合うのが 効率上良いと思う。

そんな経験から 万事人と助け合い・工夫しながら先に進むものと思っている。また嫌なことを避ける努力は惜しんではならない。

投稿者

おじさん

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