おじさん自身は社会的成功者と言えないが、人間的成功者と思っている。

社会的成功は 社会の中で競争し 勝ち残り、社会的(政治,経済的)地位を確保することと思う。

逆に 人間的成功は 社会の中で競争をしなくとも手に入る。社会的(政治,経済的)地位の有無は関係ない。

おじさんは 嘉門達夫の唄う「小市民」とでも お考えいただける立場なのを ここでお断りして始める。所謂「貧乏父さん」で間違いない。

ビジネスをするすべての人間が 成功するわけではありません。コロナ禍の中 眠れない夜を過ごしている経営者は多いと思います。

経営は絶えず不安との戦いです。正直 勝ち進むのは1/100以下です。何とか会社の名前が10年残るのが 起業した会社の1/30でしょうか?

これを理解した上で 社会的(政治,経済的)勝ち組の人生と 穏やかでそれなりの人生、どちらが良いかと考えたい。

運根鈍

運根鈍(うんこんどん)を辞書でひくと「成功するには、幸運と根気と、鈍いくらいの粘り強さの三つが必要であるということ。運鈍根。」とある。おじさんは少し異論がある。

「鈍」は鈍感の「鈍」と思っている。「鈍」の反対は「敏」つまり敏感である。

おじさん「鈍」は「人間が鈍感だから小さい変化に気づかない。それ故 躊躇なく続けることが出来る。」と思っている。

デリカシーがない方が 多少の異論を無視してブレずに進む。

普通 人は意識して決意しなくとも そのまま進むものと思う。覚悟などなくても進んでしまうのが人間と思う。

成功の岐路

社会的成功,人間的成功  どちらも手にできたら最高です。ありがちなのは、経済的(政治的)に成功した後に勘違いが多いことです。

長い人生の中のある瞬間 上手くいったのを過信して、周りを謙虚に見なくなることからでしょうか? 

社会的成功,人間的成功 両方手に入れたはずなのに 気付いたら 周りは敵だらけ 家庭でも妻子から嫌な思いを受ける 最低の環境かと思います。

人は 己に優しく他人に厳しくなりがちです。

他人に厳しいように自分に厳しく、自分に優しいように他人にも優しくありたいものです。

社会的(政治,経済的)勝ち組の人生と 穏やかでそれなりの人生の選択 おじさんの岐路は 家族ならそれがいつだったか想像がつくと思います。

家族一同で大反対していただいた時のことです。

あれがなければ「二足のわらじ」履いて 今もバリバリ イケイケだったかも知れません。

あるいは泣いていたかも知れません。

他にも転機は何度かありましたが、他の道にはズレず 今日に至りました。

どれが良かったかは?いずれが成功だったか? 今となっては古い話で「タラレバ」ばかりです。

それと「大人の事情」と言うのもあり、これ以上は ノーコメント。

結果論

棺桶のふたを閉じるまで 成功したか否かは分かりません。

自分が負けを認めない限り、負けはないのと同様です。

自分が失敗と認めない限り、人がどう評価しようが 関係ないことです。

しかしながら いい歳が来て くどくど主張しすぎると「頑固もの」の誹り(そしり)を受けます。

黙って心に思い この方向この考えで良いのか間違っているのか、自戒しつつ 黙って歩み続けるのが良いのかも知れません。

人間は社会的動物です。社会に適応することなく生きることは難しい。

このあたり注意しながら「自分の持つもの」に工夫をすれば 上手くいくのではないかと思いつつ 日々を過ごしています。

投稿者

おじさん

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