「餅は餅屋 桶(おけ)は桶屋」最近は使う方も少なくなり、プロフェッショナルに任せろという意味が通じなくなった。餅もきめ細かく、形も良く、長時間柔らかい状態を保つには餅屋でついて貰わないといけない。桶の修理も緩んだタガ(締め付け輪)を締め、木の接合部を調整するには桶屋でなければ難しいということを言うフレーズを分かる方も少なくなった。

自らが分らなければ、プロフェッショナルに相談することが一番であると言える。ところが最近は職人さんでもプロフェッショナルと云えない方も増えているので相談の選択が難しい。例えば住宅建設 資材がユニット化・マスプロ化しているので、大工さんでも工場プレカット 組み立てて20年という方も多いので下手に頼れない時代である。

時代はスクラップ&ビルドに入っているのかもしれない。相談出来る人間も減ってしまった状態となり、ユーチューブが先生になる時代である。良いことなのかどうか?判断が付かない。

高所恐怖症

ブラタモリの和歌山市編を見ていると、和歌山城の石垣の上から下を見る際「高与恐怖症ですから」とタモリさんの腰が引けていた。昔の勤め先がタンクなどを作る際 手すりなどについての仕様を決めるのに、社内の高所恐怖症の方に無理を言って協力を求めた。手すりの高さなどは1.2m以上など細目は労働安全衛生法に定められているが、法令順守だけでは恐怖を持つ方が安心するものには出来ない。どうすれば恐怖を持たず操作員・作業員が動けるのを実現するためである。

高い所(人によって程度の差がある)に登ると、それが安全な場所であっても、下に落ちてしまうのではないかという不安が生じる。厳密に言えば「単に高い場所が苦手なこと」とは異なる。(こちらは正確には「高所恐怖癖」という。高い場所で本能的に危険を感じ怖がるのは、身を守るための正常な反応である)その為、日常生活においても影響を及ぼし、治療が必須とされる不安障害とされる。

以上でも分かるが「もしかすると」の考えを持つ人がスタートとなる。従って ある程度 見た目、理性的に安全と思えば恐怖心が出て来ない。いかに安全と思っていただけることが大事である。

サラリーマン時代 おじさんそんなことで階段・手摺にこだわって設備を作った。一度雨の階段で作業員の方が滑ったが、手足が引っかかり 体各所を打ったが高所落下しなかったとのことを聞き、こだわって良かったと思ったこともある。

当時は階段などは鋼材・工事込みでトン当たり50万円以下で、こだわっても数万円・・「されど」が効いてくると思った。僅かな出費をケチり、人命を危うくするのは愚か者の考えである。

こんな経験からやって見ないと分からないが大事だとは思う。そんなおじさんでも一応プラント建設のベテラン・プロと見做されていた。

目線

不安心理・障害を除く構造というか、見た目とすることも仕事になることを知っておくと役に立つ。自宅建築などで デザイン優先で子供の転落事故などを起こして、安全な家作りに失敗することは避けたい。

基本的には子供の目線の高さにしゃがんで見て判断するが、目線を変えることの大事さを改めて感じる。座った姿勢からの目線、歩いている時の目線、若者と年寄りの目線など見方により変化していく。

親子の考え方も似たようにするしかないかとも思い出した。この辺りもう少し突っ込んでみるか?と思い出してしまった。

徒然・徒然 歳よりはヒマなのか?「小人閑居して不善をなす」たとえ通りであろうか?結果は追々分かると信じている。

最近 春も近いと、黄色いロウバイが咲き、しだれ梅の花も先がいささか赤い3mmほどの蕾を見る。まだまだ寒風が吹き乱れるが、日々の散歩の楽しみでもある。目線の先に他家の庭先に春を見始める。でも横から見れば 塀越しに覗き込むように、花に顔を寄せる怪しいオッサンである。自意識不足を痛感する。

投稿者

おじさん

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