昨日散歩中 30歳過ぎ程の女性から、仏教系と思われるような宗教への勧誘を受けた。おじさんのような老い先短いのを勧誘するとはと驚いた。もちろん子供の頃からの浄土真宗で鍛えられているので、変な宗教には見向きもしない。「南無阿弥陀仏」念仏ひとつ唱えれば、天国である浄土に行けるのだから・・・これほど 人にやさしい宗派はないと思っている。
平家物語に平清盛は熱にうなされ亡くなり、木曽義仲は一撃で亡くなるなど、念仏を唱える時間を与えないなど、いわゆる悪人には厳しい。日本では平安時代から念仏ひとつで助けられるとの宗教観が流れている。
あるいは 鎌倉時代からは 庶民である悪人こそが救われるという思想が流れている。
浄土真宗は東西本願寺派他色々ある。葬式・法事など何時も登場するのが「正信偈(しょうしんげ)」であり、聞いていると抑揚というか節回しが異なったり、「南無阿弥陀仏」の数が違うなどするだけである。宗派の分け目はその程度である。
伝統も平安時代から、そして現世利益・救済に溢れる 優しいというか人間の弱さを見据えた宗教なのに、これを知らないのではと思い・・・おじさんが勧誘したくなります。
旦那寺
浄土真宗の宗派の壁が低く分かれているのは、戦国末期の徳川幕府成立と旦那寺制度により生まれたと考えられている。
織田信長と本願寺の戦いは歴史教科書にも出て来る。加賀など北陸での一向一揆そして徳川家康を窮地に追い込んだ三河の一向一揆など一向衆(浄土真宗も含まれる)との激闘があった。その為徳川幕府の成立期、浄土真宗などを分断する施策を勧めた。これが浄土真宗などが分かれている原因である。茶道の千家などともよく似ている。
同時に民衆の管理の為 旦那寺制度を進めキリシタンの撲滅などを推し進めた。宗門台帳などで人々の管理をする宗教とは一歩離れた活動を含むようになる。
おじさんの家もお寺さんが決まっており、先祖代々暮らしていた場所から約2kmのところにある。現在はヒイ爺さんの代に引っ越したので、自宅から約5kmほどになっている。昔はカブ、最近は軽自動車でマメに通っていただいている。
宗教
おじさんは自由な信仰は否定しないが、迷った時には 一度 家で信仰していた宗派を見直しても良いのではと思う。おじさん自身が「正信偈(しょうしんげ)」を読み、絶対他力に考えていることに思い至り救われる思いがした。僧 源信が人を救いたいと願い、作ったように感じた。自由で正直 人殺しなどの悪事をせずあるいは反省すれば・・・許されると懐が深いように思えた。
それ故 多くの方に唱えるのではなく、直接経文の内容を読まれることをお勧めする。
以下独り言であるが、キリスト教などと違い、戒律がないことが有り難い。おじさん人生で戒律を破っていないかと問われれば・・・「少しは」「無理」と答えないといけないこともやってしまうと思う。
従っておじさんこれからも「浄土真宗」の門徒です。
最後に 説明責任を問われる時代 未だに宗教についての活動をされている若い方と会って驚いた。おじさんなどは俗物なので、宗教を都合の良い様に捉えている。子供の頃から般若湯(お酒)をたらふく飲んで、父達と騒いでいる坊さんを見てきたことも影響していると思う。その坊さんも真言宗寺院の塀には3本線の大僧正の位であり、子供が稚児として別の寺で参加した際、最も高い位置に座り差配していた。そんな体験もあって宗教を ざっくばらん・バサラに見ているのかもしれない。