中国の故事類語に杞憂(きゆう)と言う言葉がある。高校時代の漢文の授業で原典(列伝)の抜粋の形で読んだ。中国古代の周代において、杞の国の人が天が落ちてこないかと憂えたことにある。杞の国の人による無用な心配という意味から、転じて杞人の憂いとなったという由来である。
杞憂の類語には、取り越し苦労や悲観が挙げられる。取り越し苦労は、確実に起きるかどうかわからないことを心配するという意味であり、悲観には 悪い結果を予想して気を落とすという意味がある。
杞憂の対義語には、楽観や呑気が挙げられる。楽観は、物事を良いように考える、という意味である。
どこでもそうなんだ
杞憂は英語で absurd fear と表す。absurd は不条理な、fear は不安や心配という意味であることが、杞憂の英語的表現となる。
シンシナティ大学のロバート・リーヒは『不安な心の癒し方』のなかで、心配ごとの97%がムダであり、心配ごとのほとんどは杞憂に過ぎないことを明らかにしている。
アメリカでは37%の人が、毎日のように不安を感じている。これらの心配性の人に対し、何が心配なのか、この先何が起こるのかについて、二週間記録してもらい 総括して見ると、心配ごとの85%では 実際には「よいこと」が起こった。さらには、悪いことが生じた残りの15%の場合でも、そのうち79%は予想ほどひどくなかった。よりもよい結果につながった。
合計して計算すると、なんと97%もの心配ごとが とり越し苦労だったことになる。心配性の人たちは、なにか事が起きたときにはネガティブなことばかり考え、マイナスの情報を集めてしまう。こうしてますます不安のスパイラルを転げ落ちる。
運ドン根(うんどんこん)
実際に問題が生じたときでも、他者の手を借りればどうにか解決できる。問題に直面した人の多くは、解決のために様々な人と連携・協力して、致命的事態にはならないよう調整するからである。だとすれば 大変なことが起きるかもしれないと気に病んでいても仕方ない。それよりも もっと意味のあること、生産的なことについて考えるよう努め、成長することを目指したほうがよい。
不安から逃れるには、実際に行動することだ。行動することで、徐々に事実関係が明らかになり、対処法もまたわかってくる。かくして 漠然とした不安も、具体化してきてどうにか対応できるだろうとなる。自信が生まれてくるのである。
ビビっていても、なにも始まらない。まずは今日、いますぐに、小さな一歩をふみ出そう。行動し続けてさえいれば、この世の中、何とかなるものである。
タイトルの「運ドン根(うんどんこん)」おじさんが好きな言葉です。ドンは鈍感、根は「諦めないあるいは根性」とお考え下さい。のんびり構え、多少のことにびくびくせず生きることが良いと思うからです。
車の運転で横からの風にスグにハンドルをあてて操作すれば、車の挙動はふらつきます。多少の風にもハンドルをしっかり持っていれば車は大きくはふらつきません。これ以上は無理と思った時 ゆったりとしたハンドル操作すれば良い。
実を言うと奥さんの運転で瀬戸大橋を渡ると、しばしばその乗り心地の悪さに・・乗せて頂く立場なのでツッコミは入れないが・・鉄板の継ぎ目などで横風があるとすぐハンドルを細かく操作する。お陰で車両は微妙に揺れる。車の運転同様 諸兄も決めたことは大らかに守れば良いと気付かれることを推奨する。過ぎたるは・あわてることは・・・これ以上は言わなくてもお分かり頂けると思う。
ここまで読み返し マメさを多少なりとも否定するような書き方なので、マメさも人生に必要なこと・・・また明日にでも補足したい。