先日 星野源と新垣結衣が結婚を決め、T―Verなどで「逃げるのは恥だが役に立つ」の再放送を何本か見てしまった。おじさんは「石の上にも3年」と思うタイプであるが、一方で「逃げるが勝ち」も基本的戦略である。難儀なことも程々と思い、無理をすることはない。

だが尻軽に立場を変えれば、大人としての見識・覚悟を疑われる。この辺りの自己分析・評価が出来ていない、つまり技術的工夫などが無く 逃げ出せば批判を受ける。また基本的にチャレンジ前から あるいは初手から逃げることは、評価のマイナスあるいは対象外となるので注意されたい。

学生などで いじめを受けた場合は無条件で逃げても構わない。ところが社会人として生きている限りは、他者からの評価を考えた上での行動を求められる。社会人になれば評価をリセットするチャンスが少ないこともあり、注意するべきと思っている。但し命を失う危険があるなど厳しい場合は、当然逃げるのが最優先である。

建前

逃げるには技術&工夫がいる。これを分かっていないと区別するなく逃げるため、悪評が立つ。悪評を立てられるのは逃げる本人の技術&工夫が未熟であり、逃げ出したことが間違いと周囲から評価され 批判されることによる。社会人にも「いじめ」に近いことは起きるが、自身の「鈍さ・鈍感」で判らないと 方便のような使い方で 気付かない体裁でやり過ごすのも可能である。

例えば相撲の叩き込み(はたきこみ)肩透かし(かたすかし)一応技ではあるが、サラリーマンなどが使う時には 相手を押して引くという要素がないとあまり評価されない。

傍で見る奴はお気楽なので、立ち合いの美意識を求めるのである。こんなのが上司あるは同僚では 勝てるものも勝負に勝てない。それ故逃げるには技術&工夫が必要と書いた。社会人は 勝負にどんな手段を使って勝とうとしてはいけない。きれいな勝ち方がベストである。

相撲の話に戻して・・・立合いの際の変化で決まり手が発生するケースが多く、そのような相撲は注文相撲と称されるが、上位力士に奇襲を仕掛けるような場合でもない限り、相撲でもあまり誉められた形とされていない。迂闊に叩くために引いたところを相手につけ込まれてそのまま土俵を割ることがあるため、大局的に見ると叩き中心の相撲は相撲としての面白みに欠ける。

基本的には社会人では勝ち負けの勝負はどうでも良く、自身の評価と他者からの評価を見せる機会である。つまり 意地とプライドを見せることで他者にアッピールするのである。このアッピールが技術のいるところである。やり過ぎればダメ やっておかないとダメ と微妙な空気感のものだからである。

負け戦と解かっていれば 戦い&被害を最小限に留めることに注力すればよい。戦国時代 豊臣秀吉が金ヶ崎の戦いの殿戦(しんがりせん)の後 評価されたのと同じである。人は戦うものの覚悟を見ているのである。

なお 判り切ったことではあるが、全戦全勝することなどは間違っても考えてはいけない。もちろん人生の勝負を賭けるという場合は、きれいな勝ち方に拘る必要はない。他人の目なんぞどうでも良い。勝てばあるいは生き残れば 如何様にでも理由付け弁明が出来る。

技術と手段

逃げる手段は多くない。箇条書きにすれば以下の項目と思う。

1.距離を取る。

2.視野・視点を変える。

  選択肢を増やす。

  年上年下、外国人、異業種など異質の視点・意見を求める。

3.他人に任せる。やらせる。人に頼る。

もちろん たまには「火中の栗を拾う」覚悟がないと駄目です。逆に「火中の栗を拾う」のを安易にすることもダメです。

大体を記したが、周囲の人間にも拠る要素が大きい。それ故 常に人の和を広げることが次につながる生き方かと思う。「逃げ恥」にスグならぬ様に 普段から助けて頂ける方、相談できる方を増やすことが大事なことである。それでも落ちる時には落ちるので・・・逃げろとお勧めする。チャンスは一度だけではなく、ピンチ(落とし穴)も一つだけではない。時を変え、場所を変えれば、チャンスもピンチもすぐ巡り合うものである。

投稿者

おじさん

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