今日 日課である駅前までの散歩をした際、女性のホームレスと思われる方がベンチで寝そべっておられるのを目撃した。年齢は30代と思われるが、汚れ切ったような頭髪であった。最近は公園のベンチも真ん中で分断されて、横たわることは難しくなっている。救いの手であるNGOなどの方が声掛けしてるのだろうか?と思いつつ、フェンスを隔てて通り過ぎた。
おじさんの町でホームレスを見ることは 過去にはなかったが、時代が変わったのかと改めて思う。
生活保護
おじさん 不動産屋を営んでいた時 生活保護用に家賃の安いアパートを探すことを、しばしば依頼された。離婚に伴い母子家庭となり、生活保護を受ける方が中心であった。母子寮に近所の方が勤めていたのがご縁であった。
たまには 隣自治会に親御さんが住まわれ「あれ」と思う方、住みだして大家さんあるいは近所からから男が出入りしているなどの話が聞こえることもあった。しかし 多くの方は離婚などに伴い生活再建を目指す方が大半であった。
それ故 おじさんは偽装離婚などで制度を悪用される方がいるとは否定しないが、批判し過ぎるのもどうかとは思う。
コロナに拠る社会の困窮を伝えられると、どうしても制度を適用し人々を保護するべきと思う。同時に悪用あるいは努力せず制度に甘え・悪用する人々への対策が重要と思う。
生活保護の敷居は低く、利用しやすくするが 制度を悪用などするものにはより重い罰則を掛けるべきと思う。
生き貫く
昨年12月から、厚生労働省のホームページで『生活保護の申請は国民の権利です』と呼びかける告知が掲載されるなど、国が生活保護の活用をすすめている。
本来「働ける人は、その能力を活用する」という要件がありますが、緊急事態宣言中は、その判断を保留できるとされています。受給すると医療費や介護の費用もかからなくなるので、困窮したら、ためらわずに相談して活用して無理な頑張りは止めた方が良い。各地方で思いつめたような一家心中何ぞ見たくもない。子供の未来を潰す権利は当然親にはない。一家で生き貫くのが優先する。
どうしてもお金に困っているのなら、カードローンやキャッシングなどに手を出してはいけない。地元の自立相談支援機関の相談窓口や社会福祉協議会に相談して低利で借りれば良い。
受給要件の1つに「すぐに換金できる資産がないこと」とあり、「貯蓄性のある生命保険は原則解約する」など、その厳しさが問題視されてきた。解約返戻金が最低生活費(居住地域ごとに決められた生活に最低限必要な生活費)の3か月分以下で、保険料が最低生活費の1割以下なら、解約する必要はないとされる。
従来では規定に抵触するばかりであったが、今年1月から 特別に最低生活費の3か月分以上の解約返戻金がある保険でも、6か月をめどに処分指導を留保していいことになった。
“持ち家があると受給できない”という誤解も多い。居住用の不動産は、住宅ローンがある場合を除き、時価2000万円程度あっても持ったまま保護を受けられます。ローンを完済しているかたは余地がある。
生活保護受給へのもう1つのハードルは、「受給していることを家族や知人に知られたくない」ということと思う。受給申請をすると、親族に支援の有無を確認する「扶養照会」という手続きがある。しかし、照会はその親族からの扶養(仕送り)が期待できる場合に限って行えばよく、DV被害者の場合は、照会自体が禁止されている。また 今年4月からは「本人が照会を拒否する場合は、その事情をよく確認すること」とされている。市町村の担当者の個別問題となる可能性があるのは否定できない。
小賢しい
最近 報道特番で70-50問題について視聴した。中学生時代から引き籠り50近くになり、父は73歳の今も働いているというケースで疑問が沸くと同時に切なさを感じた。
引き籠りの方が、父なき後は生活保護しかないないと結論付けていた。独立自尊には程遠い発言が繰り返された。こうなった社会と言うか周囲の人間に半ば責任を持って行ったようであった。おじさんから見れば 「なぜそんなにレベルで自尊心を捨てられるのか」「居直れるのか」判らなかった。
彼らのような方に接する福祉事務所の方などは どう思い付き合うべきか疑問が沸いた。まさに少年院の矯正に携わるスタッフ同様の状況ではと思える。相互に理解すること自体が困難なことのように思えてくる。
引き籠りで少年のまま歳を重ね、メディア情報のみ得ながら、心を成長させなかったためと思える。出来てしまった「小賢しさ」50歳になり、変えて行けるとも思えない。
おじさんは 大人になる過程について、料理の飾りであるパセリを食べるイメージがある。ほろ苦いが嚙み締める そんな苦さを楽しむ・味わうところが判らないとダメなように思う。人は一人では成長できないのかも知れないと改めて感じた。