12月18日も晴天に恵まれたが、朝は神社での反省会などがあり見物に行けなかった・・総社神社の直会(なおらい)と言う形である。その為 最後には酒を「いやさか!」と声を掛けながら杯で御神酒を飲み干す。補足すれば 弥栄(いやさか)は、 「ますます栄えること・繁栄を祈る祝詞的なことばである。多くの場合 格式ある場で乾杯の掛け声として用いる。
まあ 家の庭木の剪定などもあるのに・・昼からは 祭り見物に出掛けた。おじさん少しサボってしまった。ほんの小一時間である。出掛けたのは市内の八幡神社に集まる太鼓台・祭りの見物である。一応 おじさんの父方が氏子であり、新浜太鼓台を担ぐ際の法被・前掛けなど 昔ながらの一式は 今はおじさんが預かっている。勿論 法被などのマーク類は全て初期の総刺繍した特注ものである。現在多い 丈長目の染物法被ではない。叔父から2代続けて 子供が全て女性だけで・・跡継ぎとなる方がいなかったためである。皆 嫁に行ってしまったので、おじさんが若い頃 太鼓台の舁き夫として手伝などしたためである。されど歳を取り おじさん自身の地元の浜西太鼓台さえも 年齢から舁きに行くこともなくなった。今や太鼓台は「ルッキング オンリー」となってしまった。
それで・・ただ他所の祭りを見ているだけであるが・・何故か楽しい気分には なって来る。最近は太鼓台でも手を放して放り上げるようなことをするのだが・・危険な演技が増えた。棒から手が離れると 下手すると頭と棒でガッチャンコ・・することになる。基本 棒などから手を離してはいけない。時代と共に変わった舁き方である。先日の大阪泉州のだんじりでも・・スピードを出し過ぎて、梃子(てこ)の操作タイミングなどが狂うえば・・事故になる。太鼓台では 愛媛の西条市の投げ上げての副市長下敷き死亡など・・祭りをイベントと捉え、最近は派手な演出的演舞になって来たことが要因とは思っている。
おじさんなどは ごくノンビリとした風景と時間を楽しんでくるだけで・・子供の頃のように 小遣いをもらって・・露店に行くことも無い。そう言えば 子供の頃は爺さん婆さんなどと連れだって、神社に参るのか?露店に参るのか?わからないような時間を過ごした。露店の前で後からお金を出して貰いながら、露店でたこ焼き・おもちゃなどを買ってもらい 食べて遊んでいたことを思い出す。おじさんが孫の中で最も遅生まれで、2人目の男の孫であったことも理由であったと思う。そんな訳で 新浜太鼓台でも叔父や叔父の友人(おじさんの父も知り合い)などが太鼓台に関わっていたので、地元でもない子供ながら 爺さんを横に立たせて、太鼓台には乗り放題・触り放題であったことを思い出す。
最近は おじさんが子供の頃と比べて 太鼓の幕に触らないなど 厳しく変化しているが・・子供の頃は緩かった。先代新浜太鼓台の飾り幕でも 獅子の蝶々刺繍はばねで付けられていたので 弾いて遊ぶなどしていた。今やれば・・ひんしゅくもので・・古き良き時代の話である。また祭りが終って 太鼓台に車輪を付け押して 暗い中帰る際 よく舁き棒に乗せて貰っていたことを思い出す。ついでに書くと・・太鼓台舁き棒に子供を乗せるのは太鼓台の後ろ側・・子供の頃 知らないのか?前に乗せて・・子供が落ちて 車輪に引かれてケガをした。後ろは古参者が多く 前は若い人が多いので後ろを下げる手抜きの狙いもあった。今やってたら?・・・怒られるだろうな!
さあさあ 帰って家の事をしなくては!