間もなくお盆なので、その前に 墓地にある無縁仏の寄せ墓で供養を営む予定と知らせが入った。朝7時から墓前に花を供え、お寺さんにお願いして 読経いただくそうである。近日は墓仕舞をする家も増え、墓の中には 周囲が草だらけとなった墓も増えて来た。そうかといって墓をまとめる家もある。皆さんこれと言ったトレンドはなくバラバラのようであり、家々・家族の都合で整理・統合は行なわれているようである。

 おじさん家(ち)の墓は 父の建てたものと おじさんが建てたものに分かれる。基本 父の建てた墓は昔の墓を掘り起こして、土だけだったので その土などを収めた墓である。なお神戸に結婚転居した婆さんの妹の分骨も ばあ様の従弟が持参して納骨している。つまり おじさんの爺さん婆さん以前の墓である。出来れば 父以降の墓と並べたいが・・まとまった区画が取れない。そんな事情から おじさんの建立した墓の位置には 赤子で亡くなった叔父さんに当たる方の墓があったのだが・・バブル余韻の残る頃は 場所もなく土地の購入もままならなかった事情もある。その頃は墓地を求めることが多く 現在と逆である。お墓などにも 家族の歴史の中で流れるストーリーがある。

 最近は納骨堂などに入れることが増えたようだが、檀那寺であっても 永代供養と言いながらも30年もすれば片付けたり、合葬せざるを得なくなる。おじさんは 個人的にはいずれでも良いが、納められる本人とすれば・・子孫に手間が掛からないようにしてくれれば良い。

 また 父建立以前の墓は 自宅から南に10kmほどの山の麓にあり、心柱を倒してそのままにしている。何かあった際 使えるようにとの事らしいが・・山の南向きの裾野にあるので、数年前 見に行くと草やぶの中に埋まっていた。草も刈られているだろうから、今年のお盆には一度見に行ってみるか?などと考えている。忙しくて無理かな? おじさんの家は 爺さんの六代前に分家した家であり、本家は 財産である田地・山などを売り払い 明治の頃 北九州に引っ越して その後の消息は不明とのことである。また おじさんのひい爺さんも同様に 明治時代に 台湾に雄飛したが失敗して・・帰国した。従って婆さんは 宿屋・ガラス工房など経営する事業家のお嬢さまから、一転 貧乏人の娘となったとの話は 婆さんの妹から聞いた。婆さん自身からは 育った台湾のことなどについては聞いていない。子供が過去を調べたければ、檀那寺はおじさんを含め8代以上同じ寺なので、過去帳を見せて頂くことは可能である。また 仏壇の引き出しに 父の相続時に調べた手書き時代の戸籍のコピーを入れているので参照されたい。

 いずれにしても おじさん家(ち)は 山っ気の多い家系のようなので おじさん無理やり調べることもない。本家もどちらかの地で同様かな?・・と思い 無縁仏の供養などには参加する。人はどこで繋がっているかは分からない。

 謙虚に生きることが 基本である

投稿者

おじさん

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