昨日出来なかった墓参りを しないといけない。昼にうどんを食べた後に 花を買って帰ろうと思っている。朝一からすべきかとは思うが・・自治会総会などもあり 諸事バタバタとしており、ご先祖様もご理解いただけると思っている。
花など先に買って来るべきは奥さんであるのだが、いつものことながら花購入の精算 レジ前に立つのはおじさんである。花を選ぶ所では花を見ながら 元気いっぱいああだこうだと言っているが・・お金を出すところでは ポジッションを変える。夫婦も永くやっているので毎度のこととは思っているが、たまには出せよ・・・と思うのはおじさんだけだろうか?
奥さんは自分の判断で 品物・ミカンなどを送った際は送ったことを 針小棒大風に言ってくる。そんなものおじさんが孫・知人にイチゴを送ることと同様であり、孫のところに手伝いに行った際などにイチゴに気付いて・・送ったのか?と聞いて来る。おじさんは自分の小遣いの範囲なら言うこともない。飲み屋のおねーちゃん相手に使うのでもなく、孫に使っているのだから・・いじゃないか!としか思っていない。余裕が無ければ 当然送らない。
そういえば 昨年 奥さんの車の上乗せ保険 お金を貰ていないことを思い出した。今更精算しろと言っても向こうを向くだけなので諦めている。昨年からやっと車検費用を負担するようになっただけマシと思っている。まあ 亭主なら多くが経験することである。
先ほど墓参りを済ませて来た。おじさん仏花を買う際は 高野槙あるいはシキミを追加して買うことにしている。今年も知人そして隣の墓に備えられた仏花の組み合わせが同じである。皆スーパーで購入するため、向こう3軒両隣 まったく同じになることも増えた。そこで シキミなどを足して変化を付けるようにしている。シキミは仏花としては花に勝る素材である。供えられた花を見て 自己満足をいささか覚える瞬間でもある。費用400円ほどの追加負担で味わえるささやかな満足である。今年は珍しく 奥さんも隣近所が同じと初めて気付いたようである。
ぼた餅
今日の朝は「ぼた餅」が食卓に置かれていた。最近は ばあ様が喜んで食べるので、奥さん事あるごとに ぼた餅を作る。これで夕食後のばあ様のデザートが用意しているようなものでもあり、食卓に残ったぼた餅は食べていけないのは おじさん家(ち)の常識となっている。
おじさん家の「ぼた餅」つまり「おはぎ」も同様であるが、ほとんどが表面は きな粉仕上げである。たまにお菓子屋で見るあんこが表面に出たものを食べたいと思う事もあるが・・昔 伊勢の名物赤福と食べ比べて 個人的に赤福が勝利した思い出があり、以来奥さんにあんこが表面とは要求しなくなった。嗜好の問題であるとのことで収まっている。
ぼた餅とおはぎの差について ネットなどで色々書かれていることを見ると やはり日本人と思ってしまう。ローカル・個人的見解などで異なることもあるので・・こだわりがあっても良いが、場合によっては面倒になる。この日本人の性格が江戸時代にアサガオ・サクラ・斑入り植物と園芸種の発展をもたらしたことなどに気付けば・・捨てがたいことと評価できる。
春はぼた餅 秋はおはぎ
おじさんは 棚からぼた餅希望